藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

能力の実際。

1.まずは聞く力、書く力、そして伝える力。そして
2.情報を整理する力。(情報編纂力ともいう)そして
3.提案する力。さらに
4.問題を解決する力。(やり切れるかどうか)

1-3の「聞く力〜書く力〜伝える力、整理する力、提案する力」については、留まるところ
「想像力の程度」が問題なのではないかと思う。

例えば。
「こんなミスがあったぞ」という上司の話を「へぇー」と思うか「示唆的、教訓的な話だ」と思うか「やばい!」と思うか「うぜぇな」と思うかは聞く側の想像力に負うところが大きい。

・なぜそんなミスが起きたのか、それは
・これからも頻繁に起こることなのか、
・そもそもの原因として考えられる関係者は誰か、
・その現象が組織に示唆する問題点は何か、
・社会的な観点からも何か因果関係は推理できないか、
・国際的に見ればどう捉えられるか…

掘り下げればいくらでも視座は尽きない。
想像力と言うか問題意識、当事者意識というか、どこまで思考を深く掘っていけるかというのは当人の探求心に負うところが大だと思う。
外部から強いられて、それで当事者意識が芽生えて自分で考え出すというのは珍しいだろう。

で、4.の問題解決の力については、腕力というか「カロリー」が必要だ。
実際に相手を説得に言ったり、またこちらの意見をともかくアピールせねばならない場面もあるだろう。
要は「あらゆる行為を"解決に向けて"のベクトルで」為しているかどうかという、「物理的な行為」が問われる場面である。
よく「剛腕」などと表現されるが、実行場面でのこうしたマネジメントのリアリティは実行段階では重要なものだと思う。

受け手側の想像力とか「幅の広さ」のあり方によって、いくらでも深度は上がりそうな感じがする。
結局能力とは、そんな「受け手のキャパシティの問題」なのじゃないだろうか。

逆説的には、どこまでも諦めず。
順当には、どこまでも許容する。

実は能力とは、個々の持つ絶対値ではなく、相対的な物がその本質なのかもしれない。
もう少し考えてみる必要があるので、一旦これまでにて失礼します。