藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

革新の培養。


成功体験というのをそれほど実感したことはないけれど小さなものなら幾つかある。
それは成功というより、ビジネスで上手く受注したとか、いいお客さんと出会ったとかそんな感じだ。
社会に出て普通に仕事をしていると、まあ普通に商品やサービスを扱ったり売り買いするわけで、成功体験というよりは「ノーマルな商売」と言った方がしっくりくるものだ。
そして、少しでも「より儲かる」とか「より評価される」ようなことに近づけようとするのだけれど。

そうして「普通に稼ぐこと」を覚えると、段々「はみ出すこと」から遠ざかっていくのに気付く。
よく成功体験に引きずられる、という言い方をするけど、そんな「おお成功だ」というほどのものでなくとも、「定型的なやり方」を身に付けてしまうとそれからわざわざ飛び出るようなことはあまりしなくなる。
つまり毎日粛々と働いていることと、何か革新的なことをしてみることは正反対な性質を持っている。

予防接種で少し悪い菌を体内に入れて耐性を付けるように、仕事の何割かとか、生活のどこかに「いつもと違う、非日常的なこと」を入れておかないといつの間にか全然冒険しない体質になっていないとも限らない。

一つの方法として、全く違う商材とかビジネス分野を常に一つか二つ持っておくこと。
日常の生活でも趣味とか行動バターンとか、食べ物とか付き合う人を意識して「普段にはないもの」を取り入れる必要があるのじゃないだろうか。

若くて、まだまだ成長期にある頃なら毎日の生活もどんどん変化のあるものだったかもしれない。
新しい分野に興味を持つとか、趣味や人間関係や、そして仕事も「ちょっと新しいこと」が常にあるようにしてみようと思っている。
先人は学問は最大の趣味である。と言っていたがうまく、「意識して」そうした種を自分の中に散りばめていくことができれば、少し将来に変化が期待できるのではないかと思ったのである。
(というか多分そういう風にしないと、年と共にどんどん世界は狭くなるだろうな)