藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

肝とか胆力とか。

外国の友人、特に英語圏の人と話していると「ああこれは英語にはないのかも」という言葉にしばしば出くわす。いわば精神語とでもいうような、気持ちを表わす言葉のことだ。

例えば「彼はとても胆力がある」という表現は結局伝えきれなかった。

【胆力】
1. 事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力。ものに動じない気力。きもったま。「―を練る」

英語では"gustiness"とか"scrappy"とか色々と言い方があるようだが、自分の力では伝えきれなかった。
「それはbrave、ということじゃないか?」ということでこの話題は終了したがブレイブ、ということばと胆力という意味には結構開きがあるように思う。ちょっと消化不良である。
外国の友人たちは「リバー、リバー」と肝臓のことをしきりに表現していたが、ひょっとして内臓が司る機能については西洋と東洋では大分違いがあるのかもしれない。

そして別の話題へ。
若いころ、高校時代のいわゆる番長と話をする機会があった。
何か「ケンカの武力」で周囲を統べるその人に「なぜあなたはそんなに力があるのか」と聞いた。
自分としては素朴な疑問だったのだけれど、当のリーダーの回答は至極真面目なものだった。
「フジノよ。それは俺には覚悟があるからや。」との回答だった。
「今ケンカして、殴り合いをしたとして、俺とお前のどちらが強いかは分からない。けれどオレは命を懸けてんねん。」
うお。
ちょっとしたヒーローを見た思いがしたものだ。

つまり、彼が番長としてその世界の勢力を束ねているのは、彼の"覚悟"がどうも他人の者とは違うということらしかった。
それは自分のグループの縄張りだったり、仲間意識だったり見栄だったり、色々あった。
ただ彼の優れていたのは「そこに全力を賭ける」という姿勢だったようである。
今それから四十年近く経って、かの番長の意味が少し分かる気がする。

で、それはともかく。
「覚悟」。
これも説明できなかった。
自分が説明を尽くした結果、外国人の彼らが言うにはそれは"preparation"あるいは"ready"だろうという。
確かに覚悟って「予めの準備」ではあるのだけれど、なにか事務的な準備ではないニュアンスがある。
「用意はできているか?」と「覚悟はあるか?」というのは似たようなことを伝えているがどうもその精神性に違いがある。

そんな会話で四苦八苦していたら、通訳を糧にしているベテラン女史から「それを間違いなく伝えないとコミュニケーションは難しいですよ」とコメントをいただく。
言語のやり取りは難しいけれど面白いものである。