藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

政治の根拠。

先日も(ウルグアイ・ラウンド対策費)を"じゃんじゃん使った"という報道があったがその詳報。
6兆円という国家予算の何分の一にも及ぶ農業対策費。

「正直いってそこまで積み上げられると思わなかった。実は私、びっくりした」
「さあ、どうやって使うか。それで一番手っ取り早く使えるのが土地改良だと。そういう安易な考えだった」

何もかも口を噤んで隠ぺいしてしまうよりは余程いいけれど、政(まつりごと)が勢いにだけ流されてしまっては本末転倒というもの。
町内会費とかマンション管理費と国政は扱う金額の桁が違う。
にもかかわらず、意思決定のプロセスはお粗末そのものである。
今勇気ある先輩がこうして吐露してくれたからいいものの、日本の政治の闇にはこういう話が一杯あるに違いない。

小泉氏が待ったをかけた、というのでなかなか大した若手だと思うが、それにしてもまたぞろTPPで同じ轍を踏むところだったと聞いては冷や汗をかく。

「選挙が控えていたもんだから、やっぱり票がほしいもんだから」
と正直に述懐するものの、「族議員政治」というのは今の民主主義の最大の問題に違いない。

いつになったら「族」や「業界」や「団体」を超えて政治を行う日がくるのだろうか。
そのためのシステムにはネットは切り札になるのじゃないだろうか。
その時のマスコミの役割はどのようなものだろうか。
政治の改革はこれからが本番ではないだろうか。

ミーティング小泉進次郎氏が賭けた「歴史の証言」
2015/12/4 5:30日本経済新聞 電子版
 1993年に政府が合意したガット(関税貿易一般協定)の多角的貿易交渉「ウルグアイ・ラウンド」。国会前に農業関係者らのデモが押し寄せるなか、政府は事業費総額約6兆円という巨額の農業対策費を提示し、「ばらまき」と厳しい批判を浴びた。

ウルグアイ・ラウンド合意による国内農業対策費について与党政策調整会議で協議する自民党加藤紘一政調会長(左)ら(1994年10月、衆院第一議員会館
 一方、自民党が11月にまとめた環太平洋経済連携協定(TPP)の国内対策には、対策費の金額は盛り込まれなかった。党農林部会長、小泉進次郎が強くこだわったためだ。だが、農林族にとってTPP対策は「農業者の不安解消」が最大の目的だ。党内ではぎりぎりまで「金額を提示することが何よりも大事だ」との意見が根強かったが、その声を封印したのは1つの重い「歴史の証言」だった。
■元農林族の悔恨
 「6兆100億円まで大きくなったのはまずかった。一番悪いのは農林族の俺たちだ。その二の舞をやったらいかん」。11月12日に自民党本部で開かれた農林水産関連会合。居並ぶ農林族議員を前に元農相、谷津義男は切々と訴えた。
 谷津は81歳。実際にウルグアイ・ラウンド対策費策定にかかわった数少ない当時の農林族議員だ。彼らにとって断食や座り込みまでして勝ち取った6兆円は誇るべき勝利だったはず。だが、谷津の口から次々と語られる悔恨の言葉は、その場に重い空気をもたらした。
 「政府にも乗り込み、農林省に乗り込み、団体の皆さんの意見を聞く。それを何とか実現しようと思った結果が6兆100億円」「正直いってそこまで積み上げられると思わなかった。実は私、びっくりした」「さあ、どうやって使うか。それで一番手っ取り早く使えるのが土地改良だと。そういう安易な考えだった」――。谷津は当時の成り行きをこう振り返り「あの時、3兆円ですんだかもしれない。そうすればもっと違った方向に行ったかもしれない」と悔いた。
 苦い思いは業界団体にも向かった。「団体の皆さんに言いたいのは、何でもかんでも引っ張り出せばいい、もらえばいい、という考え方はやめてもらいたいんだよ」。その思いは再び自省にはね返った。「それもこれも分かっていて俺たちは止めることができなかった。選挙が控えていたもんだから、やっぱり票がほしいもんだから」
 そして谷津は最後にこう結んだ。「カネを出せばいいってもんじゃない。このことだけは頭に入れておいてほしい。きょうは謝りに来た。二度と繰り返さないようよろしくお願いいたします」

■「あれで空気が変わった」

自民党の農林関係の会議であいさつする小泉農林部会長
 谷津を呼んだのは小泉の発案だった。対策をまとめる11月17日が迫っても「金額」にこだわる声はなかなか消えなかった。もはやウルグアイ・ラウンドの当事者から「失敗」の実情を聞くしかない、と考えたとみられる。
 小泉らは当事者だった谷津を探し出し、谷津の認識を確認した。だが「部会幹部らはぎりぎりまで心配していた」(農林部会関係者)という。いくら谷津が当時を反省しているといっても、政治家が自身の業績を公の場で真っ向から否定することができるのか――。しかし、心配は杞憂(きゆう)に終わった。谷津の告白は想像以上に赤裸々なものだった。
 対策をまとめた後、小泉は谷津の講演を振り返り、周囲にこう語ったという。「あれで空気が変わった。賭けだった」
 仕上がった対策には金額は盛り込まれず、農産品の輸出拡大など「攻めの農業」への転換がうたわれた。小泉らは来年秋までにその具体策をまとめる。ひとまず一つのハードルは越えたが、対策の真価が問われるのは1年後だ。=敬称略
(桃井裕理)