居酒屋とかタクシーの中、というのは何か特殊な空間だ。
その空間は彼らの「仕切り」の中にある。
ルールに反すするとか、気に入らない客を排除したり注意したりする権限もある。
同じようなことは電車とかバスにはない。
「ある空間に入ってサービスを受ける」という限定性がタクシーとか居酒屋には存在する。
糸井さんのブログより。
運転士さんとか、店主さんとかが、
唐突に「もの言う人物」に変身することがある。
そして中身は
芸能や政財界裏話、ブラックな世界の事情、
当世の女性の乱れきった生活態度への批判、
人気飲食店の仰天の噂、各界のリーダーが無能の件‥‥
そのご自説に辟易する時ももちろんあるけれど、それにしても毎日「自分の箱の中」で色々考えているだけあって「そんな見方があったのか」と感心することも少なくない。
最近では先の安保法案採決とか、その前の原発再稼働の話なども、賛成あり反対あり、独特の理屈ありでずい分勉強になった。
要は物の見方の多様性ということだ。
右か左か。上か下か。
一つの理屈に偏重して凝り固まるのはご免だが、対案、代案、別の案がどんなことにもある。
どれだけ柔軟に考えて、自分なりの意見を持つのかってことを忘れてはならないと思う。
・これから書くことは、ちょっと入れ子構造になっていて、
つまり、この話全体のテーマに照らし合わせると、
「おまえこそ」となりそうだが、とにかく書いてみる。タクシーだとか、酒場だとかで、
運転士さんとか、店主さんとかが、
唐突に「もの言う人物」に変身することがある。
これを、ぼくは「論客化」と呼んでいるのだけれど、
客のぼくのほうには、その「降りるまで生テレビ」に
参加したおぼえはないわけで。
どこかからどこかまで、安全に乗せてもらえば、
ちゃんと料金も払うつもりだし、
それ以上のサービスを要求するつもりもない。
でも、ここだけの特別な講義を始める人がいるのだ。芸能や政財界裏話、ブラックな世界の事情、
当世の女性の乱れきった生活態度への批判、
人気飲食店の仰天の噂、各界のリーダーが無能の件‥‥
けしからぬ、世の中は乱れ放題である、と。
食べたら命にかかわる食品、エネルギー問題の裏側、
地球をこのまま存続させるのは至難の業である、と。
テーマは多岐に渡っているが、結論は「腹立たしい」だ。
その論に根拠がなくても、「論客たち」は気にしない。
同意のあいづちを打たないで、ただ聞いているしかない。
最近は、ぼく自身がおじいさんになったので、
あまりにも白熱してきた場合には、
「もういいです」と沈黙に逃げ込むことにしている。
人は、とにかく語りたいものである。語りたいことを、よろこんで聞いてくれる人がいたら、
それはもう、それだけで僥倖というものなのである。
そのくらいの気持ちでいないと、「論客化」してしまう。
人は語りたいのだから、語るなとは言わないけれど、
多少でも、相手が聞きたい話かどうか考えたいものだよ。
どうしても語りたいなら、近所のヒヨコでも集めてさ、
ヒヨコぴーぴー鳴いててなかなか聞いてくれないけどね。‥‥っていうような話を読んでもらえると思って、
十数年も語ってるわしも、けっこう心臓強いわなー。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日、このくらいの量、しゃべってますが、よろしくね