藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

階段の転がり方。

「有名人に不倫の嵐」という週刊誌の記事はさておいて。
事件報道などを聞いていると、ほんの数万円で職を失うとか、些細なトラブルが傷害事件などに発展し「これまで積み上げてきたもの」が一瞬にして崩壊する、という例が多い。

およそ間尺に合わない。
と思う。
つまり"そう"なるのには訳があるに違いない。

多分当人にとっては「止むに止まれぬ」「次々と渦に飲み込まれるような」「勢いをつけて坂道を転がるような」そんな出来事の連続があったと思うのだ。

自分に置き換えてみる。
何か嫌なことや偶発的なトラブルが一つ起こる。
そんなことはざらにある。
いつもなら、直ちに対処して傷口は広がらない。
あるいは「血止め」をして事なきを得るはず。これまでもずっとそうだった。

ところが「たまたま風邪を引いた」とか「気が向かない」などという理由で放置した。
そうすると「緊急に処せねばならない問題」が二つ、四つと倍々で増えていく。
その中には「とても困難で心理的にも疲弊するような問題」も含まれている。
気がつけば、周囲のあちこちで火が吹き、もはや自分一人では収集できなくなっていた。

そんな風に「魔が差した」というような表現で、「些細な綻(ほころ)びがゆくゆく致命的な問題に発展してしまう」というのは報道を聞けば明らかである。
何にでも予兆はある。

問題はその予兆をいかに"ヤバいもの"と感じて敏速に対処できるか、にかかっている。

「ひょっとしてまずいことになるかも」という常日頃の用心深さというか、臆病さのようなものが引いては「大事故を防ぐコツ」のような気がする。
臆病さって勇気と同じくらい大事なものなのかもしれない。