藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

どうするか、よりなぜか。

「何が問題かを考える。
先日来、このことがよく頭に浮かぶ。
仕事が、とか
人間関係が、とか
家族が、とか
彼が(彼女が)、とか
さらには毎日の生活が、とか…

何かうまくいかないことがあって「なぜだろう?」と考える。
一見ごく当たり前のそういうことが、自分はあまり出来ていないのじゃないか。

圧倒的に「出来ていないことに対して、ではこうしよう」という話が多い。
何でだろう?

そうだ、その方が「圧倒的に楽だから」だ。

いま綻びができていることに対して「まずはこうしておこう」というと、とりあえずの対処にはなるし、「何かしておいた」という自分の納得感もあるのだろう。

反対に、「なぜ出来ていないのか」とか「根本的にはどこかに誤りがないか」とか「そもそものコンセプトが偏っていないか」と考えだすと、とても深い話になってしまうから。
特に今の社会は「スピード」も重要だから、グズグズ考えているだけではたちまち時代遅れになる、ていう面もあるのだ。
(つづく)