藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

モラルと法律。


法律の詰まる所の拠りどころは「公序良俗」とよく聞くけれど。
最初にはパナマ文書の報道で感じた違和感はこれである。
脱税と節税、というのは国民の三大義務の中でも一番流動的な問題ではなかろうか。

自分は社会人になって「節税はよく勉強しなさい」という話と「脱税はいけません」という話を聞いて戸惑ったことを思い出す。

最初は両者には明確な境界があって"一線を越えたらアウト"なのだと思っていたら、世の中そんなに綺麗ではなかった。

一般の暮らしの中でも「犯罪か、故意か過失か、偶然か、管理していたか」とかいろんな問われ方がある。

税務調査を受けてみれば「これは認められない」「これはok」と言う間にはとっても微妙な理屈や主観の働きがあるものである。

国家元首が公金をくすねて租税回避で蓄財している」と明確なものはともかく、その対極には「ビジネスで正当に蓄財したものの運用」というのがある。
「富を蓄えるものはけしからん」と大衆迎合で言うのはいいが、自分たちだって(額は違えど)◯◯控除、とか◯◯免除、とかふるさと納税とか、保険の節税」とかそんなレベルのことはやっている。

国によって政策も違うし、当然税制も差が出てこんな話になっているわけだが、一つにはグローバルに徴税の水準を合わせていくことは大事だと思うが、反対に「なぜ節税意識が働くのか」ということも大人たちは考えねばならないのではないかと思う。
(続く)
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パナマ文書が問う(中)節税・脱税善悪の境界は 倫理と透明性に疑いの目

 「不公平だ!」。4月半ば、ロンドンの英首相官邸前はキャメロン首相辞任を求める数百人のデモ参加者であふれた。亡父がパナマにつくった投資信託で首相が300万円ほど利益を上げたとパナマ文書をきっかけに明らかになった。税逃れ対策を訴えてきたキャメロン氏だけに英国民の怒りも大きい。潔白を証明しようと政治家による納税や所得の開示ラッシュだ。


 パナマ文書が突きつけた論点の一つは政治と倫理だ。増税社会保障カットを強いる政治リーダーの税逃れは格差拡大にいら立つ世論に火を付けた。アイスランドのグンロイグソン首相はタックスヘイブン租税回避地)を使った自国銀行への投資が判明し、即辞任した。

政治混乱の火種

 インドネシアのメディアは4月25日、ジョコ政権の有力閣僚が文書に含まれると報じた。新興・途上国で公金流用や汚職と結びついた税逃れが発覚すれば、各地で政治混乱のパンドラの箱があくかもしれない。

 国境をまたぐ税逃れは1934年の「ヴェスティ兄弟事件」がはしりとされる。英国の食肉業者だった兄弟がアルゼンチン政府高官と売り上げを海外に移す課税回避にいそしんだ。当時の国際連盟は「国際的な経済活動で税収が確保できなくなる」と危機感を表した。

 はるかに複雑になった現代の税逃れは二重三重に国境を越え、ぶ厚いベールに覆われる。「節税は一種の知的ゲーム」(中央大学の森信茂樹教授)。パナマ文書には、中国に進出する日本企業が中国当局の経営介入を防いだり、日本籍であることを隠したりといった狙いで回避地に新会社を設立したケースも含まれる。富裕層が回避地の会社に名義を貸しただけの例もあり一刀両断にできない。

 世界の銀行の回避地向け投融資も5年で3割弱増え、2015年末に2.4兆ドル(約250兆円)に達した。「ファンド創設手続きの簡便さ」(野村総合研究所の大崎貞和氏)から、個人投資家などの資金が投資信託を通じて流れ込んでいるためだ。

 だが、多くの取引が形式的には合法でも、「脱税」と紙一重のケースもある。違法性を問うモノサシもぶれやすく、「当局が悪質だと認定すれば脱税扱いになる」。国際税務専門のベテラン税理士は、税逃れの善悪を巡る線引きは極めて曖昧だと指摘する。

 キーワードは課税の透明性だ。税がよりどころとする納得感を高めるには、まず租税回避の実態解明を進め、富裕層に自制を促す努力が欠かせない。

国際連携道半ば

 税が他国に「浸食」されている米欧などの当局も、世論の怒りを「追い風」にしようと必死だ。複数の国で活動する人や企業の課税情報を数年内に各国で共有し、税逃れに歯止めをかける案を新興国にも迫っている。

 だが、租税回避地であるシンガポールなどが参加しない枠組みがあり、インドやトルコなども欧米主導に強く反発しており溝は深い。

 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は5月前半にパナマ文書の全容を公表する。税の透明性と公平さをどう担保するのか。この問いかけに対する解を見いだすきっかけになるだろうか。