どんな名料理店も「作り置き」しているところは少ない。
例えば料亭とか旅館のように、作り手とお座敷が少し離れている、とかいうと「少し味が落ちている」と思う。
だから優れた旅館は、料理が仕上がってから1分以内とかに客の前に並べるような工夫をしているらしい。
それはともかく。
料理を仕上げた後と、それを食べる間にある「おいしさの関係」は重要なのだ。
もっと言うとラーメンでも焼き鳥でもトンカツでも「できたて直後」をお客に届けられるかどうか、というのは重要なことだ。
母親に「ご飯やでー」と言われてから20分も経ってからではせっかくのおいしさをかなり捨ててしまっていたのだ。
素材も調理ももちろん大事だが、客も一体になって「食す」ところまでを一気に完遂しないと「食」というのは完結しない。
茶道とかもそういうことなのではないだろうか。
ファストフード(もできたてだけれど)とは異次元の「おいしさへの努力と儀式」が料理にはある。
そしてそれぞれ、世界各国で独特に育まれてきたことに深みをとても感じるのでした。
そんな料理を、毎日毎日ゼロから、季節ごとに作り出す料理人というのは職人の中の職人だと思う。
少しは料理も勉強しよう。
「すぐに食べる」ことが相手への心遣いや感謝の気持ちを表す
- 銀座「クラブ由美」オーナーママ・伊藤由美
「すぐに食べる」というと「慌ただしい」「がつがつと品がない」などと思われそうですが、この場合のニュアンスは少し違います。飲食店で出された料理を放っておかず、即座に食べるという意味なのです。特にお寿司(すし)屋さんや和食店で料理をすぐに食べることは、気早(きばや)なことが粋な振る舞い、いえ、心掛けた方が良いマナーでしょう。お刺し身やお寿司などは、何よりもネタの鮮度が大事ですから。
「活(い)きのいいのが入ってますよ」と勧められて注文したものを前にして、いつまでも話に夢中になっている。これではせっかくの新鮮さが台なしです。板前さん、料理人の立場になってみましょう。彼らは「ウチは鮮度が命。お客さんに少しでも新鮮なものをお出ししたい」という思いを込めているのです。それを放っておくのは、礼を失する行為ともいえるのではないでしょうか。そうした思いに応えるためにも「お待ちどおさま」と出されたら、会話は一時中断。「それ!」とばかりに味わうのが礼儀ですね。
銀座を愛した偉大なる先達で、粋な食通としても知られた文豪・池波正太郎も『男の作法』という本の中で「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵(かたき)にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ」と記しています。お客さんが揚げたてのてんぷらを前にしてしゃべっていると、一生懸命に揚げた店主ががっかりするのだと。
これは自宅でも同じことです。手料理を「ありがとう、待ってました。いただきます」と喜んでいただく。これがつくってくれた人への愛情であり、感謝であり、礼儀なのです。温かいものは冷めないうちに、新鮮なものは活きがいいうちにいただく。それでこそ、つくり甲斐(がい)があるというものです。
前回のコラムで「善意や好意への応え方にもマナーがある」という趣旨のお話を書きました。「出された料理はすぐに食べる」というのも、つくってくれた相手への心遣いや感謝の気持ちを表す一番のマナーではないかと思います。
ある時「出張で買ってきたお土産のお菓子、ずっと置かれてるんだよ。せっかく買ってきたのにさ」とこぼしているお客さまがいらっしゃいました。お気の毒にとお慰めしたのですが、こうしたケースでも同じことがいえるのではないでしょうか。何かお土産をという心遣いに対する応え方のマナーもやはり「すぐに食べる」ことではないかと。ひと言「ありがとうございます。これ、おいしいですね」と言われるだけで「買ってきた甲斐があった」と嬉(うれ)しくなるものです。逆に、せっかく買ってきてもずっと放置されたままだと「つまらないものを買ってくるんじゃなかった」「余計なことをしたのかな」とがっかりします。場合によっては「嫌われてるのかも」とまで思ってしまう人もいるかもしれません。こうしたことは「自分が買ってきた立場だったら」と考えればわかりますよね。
料理もお土産もすぐに食べる。些細(ささい)なことかもしれませんが、相手への心遣いができることを“粋”というのだと思うのです。
次回は4月6日の配信を予定しています。