藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

何からも切り離れるということ。

これまでは、どうしようもなく「拾われなかったデータとか、言葉とか、発言とかメモとか」がいろんな形で「拾われる」ようになってきた。

しかもその「拾われ具合」は凄まじい。
もう呟きから、検索から、買い物から、移動から、趣味から仕事から。
自分たちの「生活の全てがデータ化」される時代に入っている。
今の所、まだ紙のメモとか、自分の頭の中の断片くらいはそこから逃れているが、多分いつまでも蚊帳の外ではいられないだろう。

スマホが収集する日常生活の何気ない動向までもが「ライフログ」という価値ある情報として売買される。

別に自分の何かが、誰かに「データの一片」として利用されるのが嫌なのではない。

けれど「どこからも切り離れて自由にいる」ということの価値は相対的に高まってきているに違いない。

どこを散歩して、どこでコーヒーを飲み、どこで食事するかは、すべて気ままに従う。
あえてネットやセンサーから離れた生活を志向するのも、皮肉な現代人の望みなのに違いない。
実は、自分はデータ化されても大して面白くないだろうな、と思いながら。

役に立たない 森田真生
 今年の7月に、パリで講演会をする機会があった。このとき、冒頭だけ原稿を準備してフランス語で挨拶をしたところ、現地の方はとても喜んでくださった。次に訪れるときまでには、もう少し本格的にフランス語を話せるようになりたいと、帰国後、少しずつ勉強をしている。愛用しているのは、全世界でユーザ数が1億人を超えるという人気の言語学習アプリ・Duolingo(デュオリンゴ)だ。

 このアプリを開発したルイス・フォン・アンは、reCAPTCHA(リキャプチャ)という仕組みの生みの親の一人としても知られている。ウェブ上で新しいアカウントを取得する際に、変形されたアルファベットを入力させられた経験が一度はあるはずだ。あれは、不正なプログラムによるアクセスを防止するためのCAPTCHA(キャプチャ)という仕組みなのだが、彼は、自ら発明したこの仕組みを仲間とともに改良し、2007年にreCAPTCHAを開発した。

 reCAPTCHAは、ユーザにランダムな文字列とともに、コンピュータが読み取りに失敗した書籍上の文字列を提示する。結果、ユーザは無自覚のうちに書籍の電子化に貢献する仕組みになっている。ニューヨーク・タイムズの1851年以来の記事の電子化など、このシステムはすでに大きな成功を収めている。

 2012年に公開されたDuolingoも、語学を「勉強」する時間を翻訳という「仕事」に変換するという着想から生まれた。ユーザはあくまで自分の学びのために文章を翻訳するが、まだ誰も翻訳したことのない文章が課題として出題される。「正しい訳」があらかじめ存在しない文でも、同時に何万ものユーザが翻訳すると、「どの翻訳が正しそうか」統計的にある程度判別できるのである。Duolingoはこうして、勉強という個々人の労力を結集し、翻訳という仕事に置き換えてしまうのだ。その代わり、言語学習の環境を無償で提供できるという発想である。一定の事業規模を超えて、いまは翻訳中心のビジネスモデルではなくなっているようだが、「何気ない作業をネットで集約して生産的な仕事に変える」という彼の方法論は、これから様々な場面で見られるようになっていくだろう。

 世界中で何億もの人たちが、日々インターネット空間上に投げ込む膨大なデータを、何とか有効利用できないものかと、たくさんの人たちが日夜智恵を絞っている。仕事をしているつもりもないのに、誰かの役に立つ――そのような状況を設計できれば確かに素晴らしいのかもしれない。だが、自分の何気ないふるまいが、自分の意図とは別のところで「有効利用」されてしまう世界は、息苦しいといえば息苦しい。

 ネットのない時代、ちょっとしたつぶやきなどは、何の役に立つこともなく、そのまま宙に消えていった。いまやウェブ上に「つぶやき」を投稿すれば、すべてマーケティングやサービス向上のための資源として、どこかの誰かに活用される。スマホが収集する日常生活の何気ない動向までもが「ライフログ」という価値ある情報として売買される。

 あらゆる行動が意味あるデータを生み出してしまう未来、役に立たない時間を過ごすことは、ますます希少で、贅沢(ぜいたく)なことになっていくのだろう。

(独立研究者)