藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の世界を変えていくこと。


圧倒的な速さで進む情報化の中で、文学そのものが危機にされされている…
なんて言ってみたが、ますます自分は文学作品を読まなくなっている。
もう何十年もになる。
イシグロ氏や村上春樹の小説も新品のまま書棚に並んでいる。
自分は死ぬまでにこれらを手に取るのだろうか、と恐ろしい疑問が脳裏をよぎる。

(ジェーン・)オースティン、ブロンテ姉妹、トルストイチェーホフジョイスフィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、(ジャック・)ケルアック、(ノーマン・)メイラーなどだ。

恐ろしいことにほっとんど読んだことがない。ブロンテ姉妹ってなんだ。
かなり自分が偏った感じになっていることを感じながらも。
イシグロ氏は言う。

若い作家は自分たちのことを『有望株』などではなく、文学界の風景を一変させる重要な存在だと思うべきです。

「風景を一変させる重要な存在」。
文学界だけじゃないだろう。
〜自分のいる世界を一変させる〜
多分それが志だ。

[FT]イシグロ氏 「忘れられた巨人」に込めた思い 「45歳限界説」の真意は

 記憶を薄れさせていく霧、ドラゴン退治への旅、高原を睥睨(へいげい)しながら進むアーサー王伝説に出てくる騎士――。カズオ・イシグロの著作「忘れられた巨人」は「ポスト9.11小説」には思えないかもしれないが、少なくとも字面の上では書きだしはこんな感じだ。イシグロ氏という英国人作家はこの小説の構想を日本で開いた読者との交流イベントで最初に語った。折しも、2001年9月に米国で同時多発テロが起こった直後だ。

 「その時、社会はどう記憶し忘れるかについて本を書きたいと思いました」とイシグロ氏は言う。「どんな時こそ前へ進んだらいいのか。個人としては誰もがその問いに直面します。では、国家がこの問いを受け止めたらどうなるかと考えるうちに、興味が深まって行った。イベントでは、日本人に向かって話していることを強く意識しました。もちろん、日本は第2次世界大戦で起きたことの大半を忘れてしまったと思いますが」

イシグロ氏は「忘れられた巨人」で歴史と忘却をめぐる倫理的な問いかけをした=AP

 国家動員を余儀なくされたり抑圧されたりした国について、イシグロ氏は様々な事例を読み進めている。ナチスドイツによる占領が終わった後のフランス、大虐殺が起きたルワンダアパルトヘイト後の南アフリカ、内戦で分裂したユーゴスラビアなどだ。数年後にはこの問題について、スイスのダボスで開かれる世界経済フォーラムの討論会で司会をする予定だったのだが、自身の考えをなかなか形にできずにいたという。

■ようやく訪れたひらめき

 イシグロ氏は「私の考察をこうした歴史的状況に当てはめようといくら試してもしっくりこなかった。一歩引いて、もう少し隠喩的で普遍的な小説を書こうと思いました」と述べた。

 ひらめきは04年になってようやく訪れる。それは14世紀の詩「ガウェイン卿と緑の騎士」、その中でもとりわけ、架空のアーサー王の時代の英国を舞台に、主人公である(アーサー王のおいの老騎士)ガウェイン卿の旅が描写される箇所を目にした時だった。「この数行が私のなかではじけたのです」とイシグロ氏は話す。「鬼が飼いならされていない雄牛のように付随的に描かれ、ガウェイン卿は毎日追い払わなければならなかった。突然、目の前が開け、よし、これで行けるぞ、と思いました」

 私たちはロンドン北部のゴルダーズ・グリーンにあるイシグロ氏の自宅の明るい居間にいる。イシグロ氏の新作の大々的な宣伝活動は始まったばかりで、今のところは家族との知的で和やかな生活には支障が出ていないようだ。部屋には外交問題の専門誌が、小説のゲラやボサノバの楽譜とともに所狭しと置かれ、彼がゆったりと知的探索の旅をしながら多様な文化にも関心を向けていることがうかがえる。

■思いがけない妻の反応

 ギターのコレクションをほめると、イシグロ氏はジプシー・ジャズの1節を(ギタリストの)ジャンゴ・ラインハルトのように弾いてくれた。続いて「イパネマの娘」をポルトガル語で口ずさみながら、お気に入りのマーチン・ギターで奏でた。

 ソーシャルワーカーだった妻のローナさんが時折、口をはさむ。「(彼を)イシって呼んでください、みなさんそうしていますから」。そんな雰囲気の中にいると、英国でもっとも輝かしく著名な小説家の1人に取材していることをつい忘れてしまう。

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 ローナさんはしばしばイシグロ氏の相談相手になってきた。だが、この「忘れられた巨人」ではこれまで以上に重要な役割を果たしたようだ。「50〜60ページか、あるいはもっとかもしれないけれど、ローナに(小説を)見せてみようと思ったのです」とイシグロ氏は言う。「彼女の感想は『ひどいわ。あり得ない』でした。『どこが変? どう手直しすればいい?』と聞くと『手直しなんてできないわ。一から書き直さないと。まったく最初からね』と言ったのです」

■引き算の手法から生まれた

 イシグロ氏はすぐに書き直すことができなかった。その代わり、09年に「夜想曲集」として出版されることになる短編集を手掛けた。再び「忘れられた巨人」と向き合った時、取り組み方を変えた。「これを最初に書いた時は(18世紀後半から19世紀にかけての著名詩人)ウォルター・スコットの作品のようで、古めかしい表現を使い過ぎたかもしれません。2度目はなるべくシンプルにするよう心がけました。『願わくは』などと言うより、私たちが普通に話す言葉を使おうとしました。あちこちにあった前置詞や耳慣れない言葉を取り去ると、少し風変わりで異国風になったのです」

イシグロ氏の作品には第2次世界大戦の影を引きずる主人公が出てくる=ロイター

 この引き算の手法から、忘却や喪失といった「欠如」をテーマにした作品が出来上がったのは合点がいく。読者はローマ人が去った直後の6世紀ごろの今の英イングランドに足を踏み入れる。ブリトン人とサクソン人が領地をはさんで不安定に共生しているところへ、年老いたアクセルとベアトリスの夫婦が行方不明の息子を探しにやって来る。妖精やドラゴン、鬼と遭遇するなか、衰弱していくベアトリスはあることにはっきりと気付くようになる。それはすべての人を苦しめる忘却という病が、夫とともに向き合わなければならない心の痛みまで見えなくしてしまうということだ。

 イシグロ氏は「忘れられた巨人」の現実離れした設定に批判が出ると思ったのだろうか。「作品にはどれも大きなリスクがあると感じています」と彼は答えた。「恐らくほかの作家はもっと作品に自信を持っているでしょう。私は例えば、まるでSF小説のような『わたしを離さないで』(05年)では、読者の共感は得られないと思いましたね」

■一貫したテーマ設定

 イシグロ氏は1989年にブッカー賞を受賞した「日の名残り」に対しても、似たような思いを抱いていた。「私は日本人の物書きとして有名になっていた。だから日本とまるで関係のない本を書くことは、当時の自分にとっては大きなリスクだと感じました」とイシグロ氏は語る。

 老執事の回想の形をとる「日の名残り」でわかるように、イシグロ氏はジャンルや背景の設定では冒険をしても、テーマに関しては一貫している。彼は54年、日本の長崎市に生まれ、5歳からは英サリーのギルフォードで育った。作品から生い立ちの影響を過度に読み取ろうとする人たちには批判的だ。とはいえ、同氏の著作には20世紀半ばの世界の大混乱が投影されているのがはっきりとみてとれる。「遠い山なみの光」(82年)、「浮世の画家」(86年)、そして「日の名残り」の主人公はすべて第2次世界大戦の影を引きずっている。

 「忘れられた巨人」は単なる記憶や葛藤についての作品ではなく、愛と死についての熟考でもある。この点で恐らく最も強く感情に訴えてくるのは、ある目的のために寄宿舎で育った若者たちの過酷な運命を描いた「わたしを離さないで」だ。

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 イシグロ氏によると、この2つの小説には、愛がひときわ強ければ、たとえ死は乗り越えられなくても、何らかの譲歩を勝ち取れるはずだと考える人物が登場する。「書き終えるころには、次の小説のテーマが見えてくる。でも気にしません」と彼は言う。「私が尊敬する小説家や映画の制作者もそう言っています。複数の企画が実際にオーバーラップするのです」

■言葉の壁があれば文化的特徴は残る

 過去にイシグロ氏が話した「デンマーク人の記者」(編集注、自分の作品を、例えばデンマークで記者に説明しなければならなくなっても困らないように、常に外国の読者を意識し、彼らがわかるように書くといった趣旨の発言)について聞いた。「これは私自身の本能的な考え方です。世界の色々な人々に本の内容を説明しなければならないと思い、いつも多くの時間を費やしています。イベントでは目の前にこうした読者がいますし。小説を書こうとする時、彼らを念頭に置きます。だから小説家として、ここ英国では興味を持たれるかもしれない事柄であっても、それは私が取り上げるテーマにはならないと常に意識しています」

イシグロ氏の作家としての活力は尽きそうにない(著作が置かれた東京都内の書店売り場)=共同

 それで問題があるのだろうか。近年、グローバル小説と呼ばれるものが台頭し、議論が起きている。グローバル小説の書き手は世界(特に米国)の読者の関心に応えるため、文学で表現される豊かな自国の文化をないがしろにしているとしばしば非難される。「私たちの文化が均質化する危険があるという見方には非常に共感を覚えます」とイシグロ氏は言う。「でも私の経験では、文学は言葉の壁があるので、その国固有の文化や文学がなくなることはないと思います」

■20〜30代の作家は手ごわいライバル

 こうした議論ではしばしば村上春樹氏の名前が挙がるが、イシグロ氏は村上氏がグローバル小説家の代表例とは考えていない。「村上氏が世界の様々な人たちを意識して書いているとは思いません。これは日本についての大きな誤解です。日本人はいまだに障子のある家に住み、庭には桜の木が植えてあると思っている人もいるでしょう。違います。日本人は村上春樹の世界に生きています。村上氏の小説の登場人物と同じような音楽を聴いている。もう何十年も畳の生活から遠ざかっているし、コイをじっと眺めたりもしていません。恥をかいたから切腹するなんてこともない。時折、世界中の読者を念頭に書かれたように思える作品がありますが、それがまさに今の世界の姿なのです」

 イシグロ氏の世代の作家は、互いに比較されることが多い。還暦を迎えたイシグロ氏に、作家のピークは45歳前に訪れるという25年前の発言をどう思うか聞いてみた。イシグロ氏はほほ笑みながら、これに当てはまる過去の偉大な作家をよどみなく挙げた。(ジェーン・)オースティン、ブロンテ姉妹、トルストイチェーホフジョイスフィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、(ジャック・)ケルアック、(ノーマン・)メイラーなどだ。

 イシグロ氏は「あの発言の真意は年配の作家を脅かすことではなく、自己満足に陥らないようにすることでした」と話す。「時間が限られているのだから、今やらなければならないのだと自分に言いたかったのです。20〜30代の作家を手ごわいライバルだと思うことが重要で、最近、強くそう感じています。若い作家は自分たちのことを『有望株』などではなく、文学界の風景を一変させる重要な存在だと思うべきです」

 若い書き手を尊重するイシグロ氏の姿勢こそ、自身が芸術家として尽きない活力を持っている証しではないのか。いずれにせよ、「45歳限界説」への反証は、ゴルダーズ・グリーンに行けばいくらでも見つかる。

By Lorien Kite

(2015年3月7日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/

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