藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

幻想の呪縛。

日経より。

例えば2012年9月、中国各地で吹き荒れた反日デモでは「日本を中国の一つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで登場したが、中国当局がこれを制止することはなかった。

とか。

アメリカ・ファースト」を掲げる米大統領、トランプがトップの米国と、「国力世界一」を目指す習近平の中国という2つの大国の将来に向けた覇権争いである。

こんなことをしていると1世紀があっという間に経ってしまう。
国が多すぎるのか。
国を一つにしてしまうのか。

なんとかバランスを保とうとはしてきたが、
自由貿易を続けて、世界中の過疎と集中がさらに進むのか。

いっそ世界中を「地方」だけにしてしまうのか。
国という単位が無用の縄張り主義を挑発しているように思えて仕方がない。
あまりに強固な呪縛で、長らく解けない。
(つづく)

安倍訪中、「明治150年演説」恐れた難局の習近平政権 編集委員 中沢克二


中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞
閉ざされていた極東の小さな国、日本が世界の表舞台に立つ起点になった明治維新から150年。その時、東アジアの広大な国家が長い停滞から脱し、新中国という形で急速に台頭している。2つが重なってきしむ摩擦音が聞こえそうな一幕が日中両国間であった。それは日本の首相として7年ぶりに公式訪中する安倍晋三の日程設定に巡るつばぜり合いである。
両国間ではいったん10月23日に安倍が北京入りする日程が大筋で固まっていた。その後、ハイテク産業の集積地として有名な深圳など地方都市の訪問もこなす2泊3日の日程だった。1カ月近く前の話である。
■中国が見逃していた日本の重要行事
10月23日は40年前の1978年、当時、中国の副首相だった実力者、訒小平が来日し、日中平和友好条約の批准書を交換した日に当たる。この日に安倍が北京入りし、盛大な記念行事を行うのは双方にとって極めて喜ばしいはずだった。
しかし、この時点で中国側は、ある重要な事柄を見逃していた。10月23日午前、日本では明治維新150年の記念行事があり、安倍が演説する。明治への改元明治天皇の即位に伴って1868年10月23日に行われた経緯に合わせ、天皇陛下も臨席する方向の重要式典である。
なぜ、これが中国にとって問題なのか。明治時代には日清戦争があり、昭和の時代に入ってからも満州事変、盧溝橋事件からの日中戦争と衝突の歴史が続く。これを安倍が演説でどう評価するのか。中国にとって大いに気になる。
万一、午前中に安倍が、中国にとって問題に見える発言をし、そのまま午後、中国入りすれば、国家主席習近平(シー・ジンピン)のメンツがつぶれかねない。その可能性はわずかにすぎないが、中国側からすれば、わずかのリスクも取れないほど今の国内は微妙な状況にある。中国外務省としては、習近平の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ。
とりわけ問題なのが南シナ海問題だった。最近の南シナ海での日本の動きは気になる。日本政府は9月半ば、南シナ海海上自衛隊の潜水艦と護衛艦部隊を派遣し、対潜水艦を想定した訓練をしたと発表している。
15年前から毎年、実施している内容とはいえ、それは防衛戦略上の「極秘」。明らかにしたのは今年が初めてである。しかも、その海自潜水艦「くろしお」は訓練後、ベトナム中部の戦略的な要衝の地、カムラン湾に初めて寄港した。南シナ海を巡ってベトナムは中国と係争を抱えている。
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■ペンス演説が示した対中強硬姿勢
中国側としては本来、10月23日の安倍演説にある中国関連部分を大筋だけでもかまわないから、あらかじめ把握したかった。もちろん、そんなことをすれば、安倍政権の崩壊につながりかねない。無理な相談である。
もし、かつての中国であれば、この明治維新150年の安倍演説という扱いの難しい問題が発生した時点で、あっさり安倍訪中の受け入れをかなり先に延ばす判断をしただろう。しかし、現在の対米関係の緊張がそれを許さない。
米副大統領、ペンスの中国を包括的に標的にした演説を見ても、対米関係は中長期にわたり難しい。習近平が自らの在任中にも実現したいと願う世界一の中国。それをあらゆる手を使って潰そうとしているようにもみえる。
習近平もこれに対抗する。先にわざわざ訪中した米国務長官、ポンペオに会わなかった。ポンペオは北京で会談した国務委員兼外相、王毅の厳しい表情とは対照的に余裕の笑顔だった。そして北京滞在たった3時間でそそくさと去っていった。貿易、安全保障の両面で対米関係の打開は難しい。
こういう厳しい米中対峙の下、中国が安倍訪中でとったのが次善の策だった。中国側は安倍訪中の日程を当初予定から2日間だけ先に延ばすことで手を打った。10月25〜27日である。これならば「大きな変更はない」と双方が両国民に説明できる。日本首相の7年ぶりの公式訪中がようやく決まった。
万一、23日に安倍が歴史や南シナ海といった問題で必要以上に強い姿勢を示せば、直前に急きょ取り消しもできる態勢だ。それが安倍への一定の圧力になるという判断である。このあおりで日本の臨時国会召集日も影響を受けた。中国での安倍の日程でも地方訪問の部分が削られたのである。
とはいえ、中国政府の対日姿勢の大きな変化は明確だ。過去の経緯をたどると、例えば2012年9月、中国各地で吹き荒れた反日デモでは「日本を中国の一つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで登場したが、中国当局がこれを制止することはなかった。
その後、日中の緊張関係がやや緩和した16年9月になっても、中国の外交・宣伝当局は主催する国際会議の場で日本にだけ“差別待遇"で応じた。杭州での20カ国・地域(G20)首脳会議の際、習・安倍会談だけ会談場所に両国旗を置かない「国旗なし」という演出だった。
そのような不可思議な宣伝手法は、このところ影を潜めている。中国共産党政権は、大きな戦略の方向さえ固まれば、過去の経緯にはあまりこだわらない。簡単に身を翻すのだ。この点はかなり柔軟ともいえる。
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■宣伝部門仕切る習近平「子飼い」が急きょ来日
習近平政権の最近の日本重視は、就任したばかりの中国国務院新聞弁公室主任、徐麟(閣僚級)が急きょ来日した事実からもわかる。宣伝部門を統括する共産党中央宣伝部副部長を兼ねる徐麟は、かつて上海市党宣伝部長だった経歴からわかるように、一時上海にいた習近平の「子飼い」とされる人材だ。まだ55歳と若い。
その徐麟も10月14日、東京で開いた「東京・北京フォーラム」の基調演説で両国間の「歴史問題」に触れた。もちろん、かつての中国のように深く追及することはなかった。強調したのは貿易面などで「多国間主義を守る」という点である。対トランプ政権を意識した日中連携を訴えた形だ。
中国が、対日経済関係で目に見えて積極的になったのは今春から。中国首相の李克強(リー・クォーチャン)が公式来日した5月からは、官民の交流も驚くほど活発になる。例えば10月12日には徐麟が仕事をしていた上海市などが主催する日中の芸術交流会が京都コンサートホールで開かれた。
50代以上の中国人なら誰もが口ずさむことができる「昴」で有名な歌手の谷村新司、ドラマ「赤い疑惑」で有名な三浦友和山口百恵の子息である歌手、三浦祐太朗らも参加している。アリスの一員としての谷村の初訪中は、かつての最高指導者、訒小平が権力を完全掌握した81年だった。
その3年後、「赤い疑惑」が中国で放映され日本ブームを盛り上げた。文化大革命の嵐を経験した中国の庶民が初めて触れた外国の文化は日本の歌やドラマだった。それは「改革・開放」政策のすばらしさを確かに実感できる経験だった。
東京での「東京・北京フォーラム」には、先の自民党総裁選挙で安倍と“善戦"した石破茂も登場した。彼は日中平和友好条約締結40周年の意味に触れ、当時、中国がとことんこだわって盛り込まれた「覇権主義に反対する」という言葉の意味を改めて考えなくてはいけないと主張している。
なかなか面白い。今、世界を揺るがしているのは、まさに「アメリカ・ファースト」を掲げる米大統領、トランプがトップの米国と、「国力世界一」を目指す習近平の中国という2つの大国の将来に向けた覇権争いである。戦後の国際秩序を揺るがす不穏な動きは、今後の日中関係をも大きく左右する。まずは7年ぶりの日本首相の公式訪中となる安倍の北京での発言を注視したい。(敬称略)