藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

快楽身にならず(3) 

*[ウェブ進化論]カードゲーム。

自分の場合だと60歳だから、これから一年は「これまでの1/60の重みしかない」ことになる。のでどうしても「トランプのカードの一枚」くらいの感覚にしかならない。

けれども年とともに時間に敏感になるのは、もうそれは「残りのカードが少ない」ことが目に見えて分かるからだ。

 

人間は不思議なもので「コップの水が半分を切る」と途端に残りの量を心配するような性質があるらしい。

40歳ではそれはまだ曖昧だが、60歳では疑う余地なく「どんどんなくなり出している」ということが感じられる。

これまでは「過去の自分の人生との対比」で感じていた時間が、今度はくるっと後ろを向いて「残りの時間からの引き算」に変わるわけである。

つまり「時間ってなかなか経たねーな」から「お、どんどん無くなり始めたぞ」という感じだ。

 

こうなると人間はケチくさい。

そしてあまり憂いても仕方のない「残り時間の計算ばかりを気にする」ようにもなるだろう。

年寄りが病気自慢をする、というのはそういう「残り時間を憐れむ馴れ合いの会話」なので、これもまたしょうもない時間の使い方をしているということだ。

 

健康寿命を機にすることも大事だが、

あと何枚あるか分からない「残りのカードをどう使うのよ?」ということこそを真剣に考えたいものである。