藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

聞く耳はそれなりに。

岸本葉子さんのコラムより。

一人暮らしの母親の会話に「真剣に対応しても反応がよろしくない」という話。

それは実は「世間話」だったのである。
世間話。
それは恐ろしい。
対応力を欠くと相手との会話がスベりまくるのだ。

自分の場合は、美容院の担当者さんとの会話。
「最近、お忙しいですかー?」との会話。
それに「いやー、実は今困ったことが起きていて、先週からは大変で…」
なんて言っていた。
返事は「わぁ。そんなんですかぁ」で終了。
「?」と思っていたら。

「お身体は大丈夫ですかぁ?」と。
「実はねぇ、例年夏の終わりから体調を崩すことが多くて、だからレモンサワーをやめて焼酎お湯割に…」という途中で
「シャンプーしますね」。

あハイハイ。
頭を洗われながら考える。
「あ、別にちゃんとした質問じゃなかったのに!」
あれは、「世間話」だったのだ!

それが分かってしまえば、なんのことはない。
「最近飲みに行ってますかぁ?」
「うん、でもそんなに飲めなくなってねぇ…」
「わぁ、そんな風に見えませんねー」
という具合にうまく続く。

男は世間話を身につければ、もっと生きやすい。

聞く耳、ほどほどに 岸本葉子
知人の女性は父親が亡くなってから、しばしば実家に顔を出しているという。ひとり暮らしの母親は、介護を要する状況ではまだないが、日常生活のちょっとした支援と話し相手でもつとめるかと。

「あなたもよく食べていた福神漬けが、スーパーに出なくなったのよ」。それは私に送れってこと? 話はいつの間にか福神漬けから、最近の炊飯器に移っている。つまり買い替えたいと? 結論→理由というふうには、母親の話は進まないので、辛抱強く耳を傾け「要するに、ごはんの支度がたいへんってこと?」。配食サービスを調べて、資料まで持ってくるが、母親はなぜか不機嫌だ。同世代の知り合いと話しているときの方が、ずっと楽しそうである。仕事をやりくりして来ているのにと、娘も面白くない。

彼女らの会話に気がついた。お互い全然聞いていない。「あー、それで思い出したんだけど」「そうそう、この前なんて」。つなぎの言葉だけ入れて、関係ないことを好きにしゃべっている。

娘は学んだ。あまり真剣に聞きすぎない方がいいと。わかる!

私たちは仕事のときの癖でつい、問題解決型の思考をする。対応策を提案しようとしてしまう。でも母親はそれを求めていないのだ。「福神漬けがなくて残念」「最近の炊飯器は利口すぎて」と言いたいだけ。変な「受け」とか「まとめ」をされるより、適当に聞き流される方が満足度は高いのだろう。

真剣に聞きすぎる傾向は、自分にも感じる。限られた時間に多くの案件を処理する会議などに出るせいか。少しでもぼうっとしていると論点がわからなくなるし、意見を一度も言わないのは存在理由を問われるので、話の流れを常に追い、機を逃さず口を開く。打ち合わせでは終始、あなたの話を受け止めていますよと態度で示すことが必要だ。

沖縄で半日ツアーのマイクロバスに乗ったときは、ガイドさんが説明しているのに、車内が無反応で焦ってしまった。責任感からひとりガイドさんの正面を向き、目を見開いて大きくうなずき続け、景色なんて見る暇なかった。あれは過剰。観光なのだ、ぼうっと景色を眺めている方が趣旨にかなう。

仕事以外の場でうまくやっていくためにも、「ほどほどに聞く」ことを身につけたい。

(エッセイスト)