藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

私のアミダくじ(2)

*[ウェブ進化論]くじの行先。

自分のこれまでの軌跡を「アミダくじ」に擬(なぞら)えると、あまりにも横のハシゴの数が多すぎて、良くも悪くも「まあ今の着地点にたどり着いたものだワイ」と感心してしまう。

人との出会いとか、よく理屈の分かっていないことへの決断の連続ばかりで今に至るわけだから、例えハシゴが「一本抜けていただけ」で今の自分とは全く違う場所に立っていただろうことは割と簡単に想像できる。

 

そういう意味では無茶な選択もしたし、無謀な買い物をしたし、無駄な時間の使い方もした。

あえて「人生のハシゴを付け足したい」とは思わないけれど、かなり再現性のない生き方をしてきたものだと思う。

むしろ、これまでのいろんな偶然には感謝する必要があるだろう。

過去の話に「たられば」はないというのは分かっているが、過去に自分がした選択で「ミスればどんどんドロップアウトしていく姿」はあらゆる所に思い当たる。

それはともかく。

 

そんな「偶然に次ぐ偶然」が今の自分なのだから、これからの我が身についてはどうなのだろうかと想像する。

これまでを見て、これからを考えると「突拍子もない決断」というのはなさそうである。

けれど中小の、何か新しいことへのチャレンジは続けそうだ。

 

問題は賞味期限はそれほど残っていないという点にある。

長めに見ても20年程度しか残っていない中で、選択の機会はそれほど多くないだろう。

 

少しは「自分の選択肢」を作っていきたいと思っている。