藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

規則の誤謬

*[ウェブ進化論]ノールールというルール。

先日友人と学生時代の話をしていて「(高校の)校則違反だった茶色の靴を履く生徒が多い事実を調査して、校則の方を茶色okに変えた」という逸話を聞いて驚いた。

「校則」というこの二文字だけでもうそれは学生を縛り、時には対立する存在である、という先入観が自分にはあるからだ。

「校則って秩序を守るためにあって、校内が整備されていいな」というような発想など微塵もなかった。(大体はそうだと思うが)

それにしても男女交際禁止とか(同性はどうよ)、髪型がどうとか思えば戦前からの文化もあって長らく定められてきたローカルルールもずい分緩くなってきていると思う。

 

多分法律や規制がなくても、自分たちは「そこそこの調和」を持って生活していく生き物だと思うのだが、タガをはめられると途端に息苦しくなるのはどういう心理抵抗なのだろうか。

自分の場合は過ごした高校生活が「ミニ少年院」みたいな所だったので(いわゆる丸ボウズ系)、どうにもあれから"ルールの類"が例外なく嫌いになってしまった。

 

社会人になってからも、まだ当時はサラリーマンの下らぬ慣習が残っていて「新人は朝掃除に来て先輩より遅く帰れ」とか「日報と月報の鬼」みたいな管理職の人を見て、非常に拒否感を感じたことを思い出す。

 

ルール無用が一番ではないだろうか。