藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

思考の点と線。

ここ二ヶ月で、生活サイクルに少し変化が。ブログの影響だ。


それに先週、少し嬉しい発見もあった。(これはあとで)




それまで「頭の中を漂う」キーワード(「興味のタネ」)。
いざ「ことばに表す」となると、途端に難しい。


「頭脳空間」では、いかに「考えに突っ込みが足りないか」と思い知る。
ブログって厳しい。


たとえば、「教育」について

こんなふう。
〝《》〟の部分が頭にふわふわ浮いてた「ことば」だ。
① 《ゆとり教育》というけれど、いいのか、悪いのか。自分の判断は?

②が、ゆとり教育だけが問題ではない、な。
未履修問題》は?
そもそも《日本の教育制度》そのものにも、ずい分違和感。

③では《欧米式教育》はよいか? ん、実情をあまり知らんゾ。知識的に弱い、要補強。

④そうそう、先日エントリした「安倍政権」の教育基本法改革、はどう?
「公共の精神を尊び」「わが国と郷土を愛する態度を養う」って何するの?
〝態度を養う〟って何かをさせられそうな気もする。


相変わらず、政権の姿はよく見えぬ。


お、《タウンミーティングのやらせ》はもうあれでお終いか? ムネがむかついたままだが。


⑤詰まるとこ、
《47年の教育基本法
《教科書問題(事実は何なの) 》
ゆとり教育
未履修問題
《自殺》
《いじめ》
学力低下
《大学教育水準》……

ずーっとミスリードしてないか。


⑥《戦後教育》は、高度成長期の「富国量産体制」には良かった、とされてるが、それだった本当にそうか?


ゆとり教育で「カリキュラム3割カット」が大批判されてるが、そもそもの「教育のターゲット」はどこ?「方向」も「射程」もわからぬ。


「国という単位」で考えるなら、将来

☆『どんな国民を』
☆『どんな分野において』
☆『どれほどの数と割合で』
☆『いつまでに』
養成するのか。


そしてそれらは「なぜなのか?」
をはっきり示し、「国会(国民)」での徹底審議が当然。


後、コンセンサスの取れた「ガイドライン」に基づけば、「国も、町も、家庭も」「方向のズレ」のない教育ができる。


どだい、

「政府のやってることは〝やらせ〟」
基本法改正は強行採決
「わが国と郷土を愛する態度を養う」って何するの?


こんなでは、迷走して当然か。


またまたシラけムードに。


本質へ。

ようやく、「国策」としての「教育ビジョン審議」がなされてないことが、問題の本質っぽい、と気づく。


(にしても安倍政権には、「なぜ?」がまるでない。)



では、どんな教育が今後の「日本や国民」に必要か。


今の自分なら、「自然と人間のバランス」を考え上、無視できぬ。

『あらゆる科学を動員し、今後の「地球の資源と環境の適性調査」を行う』

「そのための教育」などと言うと、国民にはそっぽを向かれるのだろうか。


これが荒唐無稽なら、せめて
「地球と人類を考える科学のため」として、
・ 基礎科学研究者
・ 応用科学研究者
・ 製造業技術者
・ ソフトウェア技術者
・ 文学者
・ 経済学者    
・ 医者、弁護士、教師 (それぞれ、詳細の分野ごとに)

を「それぞれ2020年に、10万人、さらに生物化学研究者は30万人養成する」などと表明すれば、若者も目指しやすい。


むろん賛成するか反対するかは自由。


「方向の明示」が重要なのだ。


ここらでブログに。

ようやく、自分の中で輪郭が浮き出てきたあたりで、アップする。


もう少し練って、政府の出している資料や、識者の意見も調査したいところだが、まずアングルの拡大を優先したい。


近々、自ら見直すことになる。


そうだ。
根本から見直すなら、「47年の教育基本法から」じゃない。
もっと前からの
「国が望んだ人物像」と、そのための
「教育方法」と
「効果」の検証が要る。



国家百年の計、そう安直には決まらない、と。