これまではそんなものか、といった印象だが「反転」(田中森一著)を読んだ直後なので、色々と特捜部の様子などを想像する。
先日も少し書いたが「反転」で一番驚いたのは、著者の生活の浮き沈みでも、バブル紳士(なぜ「紳士」なのだろう。個別にはぜんぜん紳士、て感じではないのだが)たちの呆れた豪遊ぶりでもない。
「追及されない悪事」がこれほど、しかも世の中の「最上層部」であることだった。
安倍晋太郎とか、竹下登とか、森毅郎とか、「カネが渡った」と分かっていながらも「追及・立証されない」事実は山のようにあるようだ。
もう少し、政治家や高級官僚は高潔かと思った、というと青臭いだろうか。
検察の中でも、特にエリートの「特捜」。
その中でもキャリアでない「たたき上げ」のスタっフが、
「前もって上には言わず」に独自の捜査で「あたり」をつける。
証拠固めを内偵し、確信が持てれば供述を取る。
だが、絶望的なほど「トカゲの尻尾切り」で終わる。
司法・立法・行政、の最深部に到達する事件は「歴史の珍事」になるほど少ない。
透明化しているから
いまだ引きもきらぬ食品メーカの偽装発覚。
「反転」で著者は検察の仕事は「ドブそうじ」だと表現する。
ドブをきれいにするのだから、「ドブの中に入って徹底的にやる」と。
また、検察にもたらされる「リーク情報」は意外に「内部告発モノ」が多い、ということも最近の特徴のようだ。
また「古く(戦後すぐ)から長きにわたる不正」の代表「談合」も最近よく摘発される。
これまでは情報不足で、また告発のチャンスもなかなかなかった「不正たち」が、噴出して「浄化」されている、という風に見えなくもない。
今年に入って軽く百件は突破したこれらの不正が、急に起きたわけはない。
不正を暴く体質、が形成されつつある、といいのだが。
それにしても、「権力のぶ厚い殻」に守られながらのエリートの不正、というのは、(並みのドロボウなんかと違って)比較にならないくらい、いやらしい感じがする。
自分は「左か右か」の思想はないが、政治家と高級官僚はやはり「蓄財と無縁の世界」にいる、というシステムにしないと不正はなくならないと思う。
中国など見れば極端だが、よく分かる。
そして「蓄財と無縁」でもまつりごとを志す人がまっとうな「政治家」だと思うのだが。