藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

まだまだ続く


丸の内の丸善で「ウェブ時代をゆく」の講演会があったらしい。


知らなかった。(悔)


仕事抜け出してでも行ったのに。
いや、まだ行くべきではないか、とも思いながら。



ほどなくc-net japanに講演の詳細がupされる。
梅田氏を取り巻くネットの状況はとても早い。


講演に行ったようなものである。
ほとんどの内容がwebにあった。


リアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか--梅田望夫氏講演:前編 - CNET Japan


今、「ウェブ時代をゆく」を自分なりに総括している、が。


結構とんでもないパワーで作られた著作で、読み砕くのにずいぶん苦労している。


こういうのを「渾身」の作、というのだろうと思っていたら、先の講演で「自分の全精力を注ぎ込んで書いた」と解説があった。


この講演は「メイキング・オブウェブ時代をゆく」でもある。


そこでこの本の書かれた背景、書かれなかったこと、著者の狙い、などを知ることができ、今時分がしている「まとめ作業」にずい分参考になった。


ヘンな気分でもある。

今夢中に読んでいる作品の著者が、リアルタイムに「作品の背景」を語る。


読者はそれをも聞きながら、自分で読み進む。


なにより奇妙なのは、その読者の感想を、「著者が見ている」ことだ。


古今東西、そんな関係の「作家と読者」はない。というかずいぶん時間が経ってのプロセスだった。


作品を発表し、
店頭に並び、
出版社が取材し、
書評される。


それが、発売前から「私は書評をすべて見ている」と作家が言うのだ。


これはもう別の媒体だろう。


読者も書評を無責任には上げられぬ。


「新しい形の対話」の幕開けだろう。


「物づくり」の観点からして、「作り手」に新しい刺激をもたらしたweb、と言えるのではないか。


まず作家として、先陣を梅田さんが切った、ということか。


今後が「作家とユーザ」が「連続していく世界」ならば、これまでの桁違いのスピードで互いの交流が始まるだろう。


「作家」はそんな読者の機微な反応をみて、これまでのどの時代よりシャープな感性を持つ「クリエータ」になるかもしれない。


そんな試行の始まりを感じた、「ウェブ時代をゆく」の講演会だった。