藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

保守か革新か。


先日、友人から相談が。



「離婚するつもりだ」と、唐突。


まったく予想もしてなかったので慌てる。


「そ、そうか…」(黙)


そして、自分でも驚いたが「子供もいるし、何とか続けられないのか」とかなり強く説いていた。


ちなみに、別れる原因とか、経緯は一切聞いていなかった、のに。


それからポツポツと分かってきた。


本人(男性)が、他に好きな人ができたこと。


今の妻は、できれば継続を望んでいるが、本人が「違う道」をむしろ志向していること。


そして、三十ちょい、とまだ若いこと。


いろいろ考えると、自分が「とどまれ一方」な考えなのも不思議になる。


しばらく話すうち、「そうか、これからも色んな選択肢があるじゃないか」とも思った。



自分が「待て待て、早まるな」と反射的に反応したのが不思議でもある。


年齢、そして固定観念


夫婦の問題には、裁判官でも立ち入れぬ、とはある離婚専門家の言葉だが。


人、には色んな事情がある。


夫婦、となれば人×人で、二乗にいろいろなことがある。


まったく持って、第三者が口を出せないところも多い。



自分たちは、特に「年とともに」いろいろ、「分かった風な」ことを言う。
これは年を取るほど、その傾向が強い。


だが、いつも「相談者」にとって必要なのは「事情を理解すること」ではなくて「本人が冷静であること」だったり、
「結果がどうでも友達でいること」だったりする。


結局、当人の幸せは「現状り継続」か、離婚後の「新生活」にあるのか、分からずじまいに別れた。


ただ、どちらにしても「乗り切ってやる」という彼の情熱で、何とはなく安心して見送った、という次第。


つくづく人生に「正解」などなく、
しかし「志向性」はあってつねに「行く先」に思いを馳せねばならないのだな、と再考した週末だった。