藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

梅田望夫のムーンフェイズ


もうここまで書いてしまったらしかたない。
思ったことは全部書いてしまおう。


初めて氏を見たのは、忘れもせぬ昨年八月、友人からもらった「ウェブ進化論」の
裏表紙。

(読む前)
・ともかく明るそう
・ちょっとケンがあるかも
・ちょっとキザかも


読了後は、ずい分優(易)しい文章を書く人だなぁ、という印象だった。
ウェブ進化論」の中から、当時まだそれほど購読していなかったブログなど
を漁っていたのが懐かしい。


それはともかく。


これは半年後の昨年(07)3月。



そしてフューチャリスト宣言(月)がこれ。

そしてその後、がこれだ。


どうだろう。








シンメトリ


ウェブ進化論」のころの梅田望夫はは「顔の向かって左側が引きつれるような」笑顔。
ただどの写真も「笑顔」なのが氏の特徴だった。


最近、どんどんそれが「左右対称」になっていないか。


自分はストーカではない。(断)



もちろん(はてなスター以外では)お付き合いもないのだが、
今回「ウェブ時代をゆく」の執筆作業を通じて「心の平安」というか、これまでの「総括」を氏はしたのではあるまいか。


ウェブ時代をゆく」はこの今の時代の生き方の書、としてこれからも若い人たちに大きな影響を与えていくだろう、が

ひょっとしたら「これまでの人生をガツッと総括して」自らの軌跡を確かめ、
その、それこそ「連続性」を目で確認して安堵もし、心安らかに自然体で未来に向かう。


最も「ウェブ時代をゆく」の恩恵を受けたのはほかならぬ著者自身なのではないか。

(ぜんぜん違ったりして)


自分より四才年上の著者。
自分などが察するに、この年になれば「もの思う」ことも
多いのでは、と思う。
少し自分にも思い当たるのだ。


書いてて差し出がましいが。


人生の「悲観」を強烈に撥ねのけ、オプティミズム、という強烈な理念を上げて、ひた走る梅田。

3年前より若返ったその表情は、修行を終えた高僧のようにすら感じるのは、自分だけだろうか。


自分はなんとこの書を読み終わるにあたり、「爽やかな春風」が吹くのを感じた。(ひゅう)


ほの暖かさ。だから春。秋ではない。


そしてこの透明感は梅田望夫に重なる。


初めて顔写真を見た印象とおなじだが、
ウェブ進化論の時の顔と、ウェブ時代をゆく今の顔。


この二年間でさらに「オプティミズムへの確信」を深めた著者をその表情に見た。