藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

おどろきのメイキング・オブ


ウェブ時代をゆく、の出版記念講演が丸の内の丸善で11月にあったのは知っていた。
しかもその記事を読んで、一度エントリまでしている。
http://d.hatena.ne.jp/why-newton/20071123

結構とんでもないパワーで作られた著作で、読み砕くのにずいぶん苦労している。
こういうのを「渾身」の作、というのだろうと思っていたら、先の講演で「自分の全精力を注ぎ込んで書いた」と解説があった。

なんて書いていた。
まあそれは正しかったが。


今回、再度講演録を見直して、(一度読んでいたのに)つぎつぎと判明したことがあった。
人の記憶など、その時の「興味のメジャー」しだいで大事なことも見つけられなかったり、
また何十年も覚えていたりするヘンなものだ、などと思いながら。
リアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか--梅田望夫氏講演:前編 - CNET Japan

いくつか、新しいこと。

ウェブ進化論」と「ウェブ時代をゆく」の関係で発見できた点がいくつもあった。

ウェブ進化論」を出したときには、一生に1冊の記念に、半生をすべてまとめる気持ちで書いたんです。
出版社も含めて、誰も売れるなんて思ってなかった(笑)。でも、あっという間に皆さんが買ってくれた。


そして「読書のタイプ」について、新見識。

 それで分かってきたのは、本を読むのには2タイプあるということ。
1つは頭で読む方法、もう1つは心で読む方法です。


 「ウェブ時代をゆく」は頭で読む人にとってはダメですね。
そういう人にとっては、書かれているファクト(事実)が新しいか、自分が知らないことかが関心事なんです。
自分の人生と遠いところにある。
知を傍観者として論評する。学者に多いですね。
もっとも、そうじゃなきゃ学者は務まらない。
コンテンツで人生を惑わされてたら学者はできないですから(笑)

 でも僕を含めた市井の人、もがきながら生きている人は、生きていくエネルギーや答えを得るために、心で本を読む。

 「ウェブ進化論」は頭で読む人にもOKなんだけど、「ウェブ時代をゆく」は物足りないと思う。ただ、心で読む人には届くものがあるんじゃないかと思っています。

「心で読む人には届く」届いてますよ、梅田さん。


またこの「心で読む」というキーワードは自分の頭にひっかかることになったが。


構造化はどちらにもメリットがある


また「頭で読むための本」については以下の発言。

ネットに無限の情報が溢れているから、本を書くのは難しい時代ですよね。
予定外に時間がかかったのはそういう理由があります。
誰も知らないことなんてないんですよ。
ネット上では競い合うように、いろんな人が「新しいことを知った」と言っている。


 僕はGoogleAppleのことを書いていても、そこに勤めている人ほどは知らないんです。
何を書いても、中の人に匿名で「違う」と言われる可能性はある。
だから、頭で読む人のための本はすごく難しくなってる。構造化するとか、分かりやすく書くとか、そういうことが付加価値になる。

「構造化するとか、分かりやすく書くとか、そういうことが付加価値になる。」
「構造化」それ自身が「付加価値である」ということは新たな一面だった。
自分のため(構造の追求とロールモデル化)だけでなく、「読み手」にとっても価値がある、というのはもう一つのモチベーションになるな、と感じた次第。

タイトル秘話

さらっと話してるが、どこにも妥協のない様子が伺える。

ただ、いいタイトルが思いつかない。そういうときは本棚へ向かいます。
困ったときには本棚に向かうというのが僕の人生のやりかたですから。


 どの本も、1冊1冊タイトルだって悩んで付けてる。
だから、本棚を見れば真似できるタイトルがあるんじないかと思って。
江藤淳の「漱石とその時代」という本を見て、「ウェブとその時代」はどうかな、とか(笑)


 僕の本棚には司馬遼太郎コーナーがあって、そこを見ると「竜馬がゆく」「街道をゆく」とある。
これいいかも、って思って、編集者と相談して、「1行で入りますね」とか話して。

 最後にGoogleで検索して決めました。
本のタイトルは、Googleで空いてないといけない。

まだあったロールモデル

ここが一番驚いた。
以前、読んでいた自分には「意味不明」だったのだろう。

この本では4章に出てくる「ロールモデル思考法」が肝です(編集部注:お手本とするものを直感的に選び、それを真似するサイクルを繰り返すことで、自分のなりたいものに近づく方法)。

これはよかった。
あたり。


がその後だ。

ウェブ進化論」でロールモデルにしたのは小林秀雄の「近代絵画」です。
僕は子供の頃からとにかく絵心がなくて、美術館に行っても全然感動しない。
結婚してから、欧州に行くとむりやり妻に美術館に連れて行かれるんだけれども、どうしても面白いと思えない。
でも「近代絵画」を読んで、目からうろこが何回も落ちた。

やられた。
以前、著者のブログで「近代絵画(9450円)」を購入して、そのままほっぽってある。
福沢諭吉の西洋事情も読まねば、と思っていたがまずは近代絵画か。
正月に挑戦するか。


ロールモデルだらけ

構造化の天才を甘く見てはいけなかった。
まさかこんなにとは。

もっと言えば、それぞれの章にもロールモデルを置いています。
たとえば序章は、犬養道子の「新約聖書物語」をモデルにしています。
新約聖書物語」は「旧約聖書物語」との2部作で、序章はキリストが出てくる前、つまり「旧約聖書物語」をぎゅっと縮めて、「新約聖書物語」だけを読んでも読者が世界に入っていけるようにした、短くて格調高い文章になっています。
こういうのを書きたい、と思ってモデルにしています。

確かに、一風変わった格調を帯びた「序章」だった。
序章のくせに読むのにひどく時間がかかる。


新約聖書物語、も一度読まぬわけにはいかない。


やはり梅田望夫は解脱していた。

 「ウェブ進化論」が売れたことで、会ったことのない人からコンタクトが来ました。
でも年上と会わないと決めてるから、大臣が来ても会わない。
シリコンバレーにいると来るんですよ、政府の委員とか。そういうのは全部、話が来ても断る。
だから冒頭の話で出てきたコンサルタント仲間には、「何やってんだよ、それが目的で文章書くのに会わないって、今まで何してたんだよ」と言われます。


 僕はあるとき解脱したんですよ(笑)。
それで本が売れた。読者にはニオイが分かるんですよね。
この人はよこしまな心がないというのが届くんです。

この二部作のある種の清涼感、はやはり「清い」ところから来ていた。
読者には、一読者といえどそのニオイがわかるのだ、と著者も言っている。


修行を終えた高僧の表情、はあながち間違いではなかった。


好きを貫くこと、補足

この本で言いたかったのは、直感を信じるということ。
年配の人は、ワーッと来ている情報が玉石混交だから、誰かがまとめたものを信じた。
そこで新聞や雑誌の役割が生まれた。
クオリティの高いメディアを見ていれば、無限に対して目をつぶってもいいという生き方だった。


 逃げ切り世代はそれでいいんです。
僕より上の年齢――僕は1960年生まれの47歳ですが、仕事人生が残り15年以内なら何とかそれでもやっていける。
でも、もっと若い人は無限の情報と付き合っていかないといけない。

(中略)
 思考停止になって誰かに頼ろうとすることは、スティーブ・ジョブズの言葉を借りれば「他人の人生を生きる」ということ。ジョブズは格好いいこと言うよね。


 無限の情報と対峙するには、直感に頼るしかない。
好きとか、そういう部分を信じる以外に方法がない。


無限の情報から気に入った部分を信じて、そこと向き合う。
自分を信じて直感を信じて、その直感の精度を高めるしかない。
そこが個性になるし、磨かれれば「けものみち」で生きる上で有効な道具になる。

第一章から「部分部分」でエントリしたい内容はこれからなんだけど、「一番大事な辺り」のレビューはこんなところで。