藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

これからの姿。


今、底が抜けた、といわれる世界経済。


これに似たことはこれまで幾度かあった。


今のような状態すら達観し、「景気は循環する」という人もいる。

だが、本当に景気は循環するだろうか。


やはり全体が「右肩上がり」なのかどうか。
全体はどこに向かって(どんな価値観で)動くのか、という「大前提」によって、変わってくるのではないか。


何かというと、景気はもう元にはもどらないのではないか、と思うのだ。


悲観論ではなく。
いよいよ「マネーのためのマネー」への価値観から、リアルに対応したマネーへの回帰、というような。


一度極限まで「金が金を産む」その矛盾をとことん追求し、追いかけてみてようやく分かるものもあるのだろう。

いわゆる途上国の国民が「自分たちも環境優先ではなく、とことん工業発展を追求し富を得るのだ」というある意味「聞く耳もたず」の状態に似ていないか。

リアルに稼いだ富も、ヴァーチャルな富も「カネ」として一括りになり(よくカネに色はない、というように)膨らんだり、縮んだりを繰り返してきた。

本当の「富」の意味


コツコツと貯めた蓄えが、投機的に瞬間で消滅するのは耐えられぬことだし、
またヴァーチャル世界で信用取引などまで利用して、「富が転がり、転落する」ということが疲労し、いかに空しいことか、というのもいわゆるマネー先進国、は経験したのだと思う。


膨らむマネーを横に見て、それを追わぬのはある意味厳しい「自律の心」が必要だ。
魔が差し「ついつい」の出来心がこのバブルを生んだのだ。

そのまま再び「経済成長」を志向すれば、また景気は循環するのかも知れぬ。
だが今回は、ついにその連鎖が止まる気配がする。


「今が底値」と目が踊り、再び虚構の連鎖にハマらぬ選択こそ、最善の方法だと思うのだ。


富に操られぬこと。
富に心奪われぬよう。