藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

何か、を起こさないこと。


経済の底が抜けた、と言われている。
自分としては明らかなバブルの崩壊、というのは90年の時に社会人なりたてで「バブルがどんどん膨らむ」のを不思議に見つめてたら、パーン!とはじけ、あっけにとられていたのを思い出す。


なんと独立直後にバブル崩壊に直面、ソフト開発の仕事が業界から失せてしまったのには困るよりも驚いた。
つくづく需給バランス、というのは経済原理なのだな、と妙に感心したものだった。


今世界経済は「底がぬけた」と言われている。
もともと抜ける前が今回はケタはずれに膨らみすぎたのだ、という気もするが、それにしてもこれほどの素早い連鎖で、十兆円単位の資金を各国政府が主導で注ぎまくる、というのはどう見ても異様だ。


そして気になるのはその後。

底が抜けた「祭りの後」はその後どこに戻るのか。


もう「バーチャル経済」に見切りをつけて「実経済」に戻るという英断が下せるだろうか。
そうあって欲しいと思う。


が。


そちらを向けない場合。

不穏な歴史


近代の国政は、悪化した景気に対しては政府主導で雇用を生む「経済政策や税制」を繰り出して国民を統治してきたのだ、と思う。


だから経済は「国の施し次第」という意識は国民にも強い。
「失業とか、物価高とか」そんなのはみんな政治家のせいで、自分たちにその因を求めぬのが大衆だ。
世論を聞いても「困る」とか「何か対策を」とか「減税を」とか人任せ。


これではアブない。
イヤな雲行きにならぬか心配だ。

極論の公共事業は戦争だ、とも言われる。

「経済主導」を避けられぬ命題だと狂信し、追い詰まると盲目的に「その道」に走り出すことはないか。


経済のために、「事業として」開戦する。
そんな道を再び選択せぬようにこの数カ月を見守りたいものだ。


それには儲け至上、ではなく「別の価値観」をしっかり持てるかどうか、だろう。


不景気を政府や官僚のせいにして、ツケを求める姿勢なら、また為政者は「相応」のムチャぶりをしてしまうだろう。


結局は民意とか民度とか、をいかに高めるか、という話だと思いたい。