- 作者: 矢部正秋
- 出版社/メーカー: 成美堂出版
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 文庫
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ものごとの本質をつかむ。
そのために「オッカムの剃刀(かみそり)」を、と。
ものごとについていくつかの説明が成り立つとき、「単純な説明の方が複雑な説明より正しい可能性が高い」とする原則である。
英の神学者だったというウィリアム・オブ・オッカムは、この無駄を排する考え方で、当時(十三世紀)支配的な定説である天動説、に変わる考えをまとめたという。
一目瞭然のテクニック
著者の心がける文章構成のエッセンス。
これもメモっておく。
1.結論を冒頭にもってくる
2.短文を使用する
3.大番号、小番号をふる
4.ポイントを強調する
5.図表、別紙などを使う
第四章「客観的に見直す習慣」をつける
章の題字のよこにちんまりと。
自分中心をやめた人が成功する。
いよいよ佳境だ。
人間の目は、他人を見るようにできているが、自分を見るようにはできていない。
鏡や写真を見れば、かろうじて自分らしい者を見られる気がする。
だが、「自分を見ている」と思ったとたん、もう、その「自分を見ている」という思いが、自分の姿を実体より美化してしまう。
ソフト・フォーカスのかかった「美しい自分」を見てしまうのである。(中略)
世の中で起こる判断ミスのほとんどは、自分の視点からしかものを見ようとしないことにある。
つまり、相手の視点に立てないことにミスの原因が潜んでいる。
ただ、相手の視点を理解することは、実に難しい。
自分の利害や支店をいったん停止して、相手の立場を思いやるのは至難の技といってよい。(中略)
くり返すが、自分と対立する他者の存在を知ることは、すべての人間関係の成功の鍵である。
「単なる他者」でなく、「自分とまったく違う他者」「自分と対立する他者」の存在を知ることが必要である。
いわば、「異質の他者」を知ることである。
単に相手を知るのではなく、相手を理解するレベルにまで至れば、鬼に金棒といえる。
「自分には他者感覚は充分ある」という読者も多いであろう。
だが、ここでいう他者感覚とは、頭で考える他者感覚ではない。もっと身にしみて他者の存在を知ることである。
この他者感覚をもつことができれば、上司と部下、夫婦、親子など、あらゆる対人関係、対世間関係を上手にころがしていくことができる。(後略 p146)
哲学者サルトルは「地獄とは他人である」といったそうだ。
他人がいかに自分とは「完全に違う」価値観をもつか、ということを表現しているという。
また著者はその経験から、サラリーマンの実に九割が自分の評価を過ち、その多くは「正反対の評価」つまり「自分がよかれ」と思うところのみほじくり、人目に障っているだろうことには気づかない、と絶望的な指摘もしている。
気をつけねば。(汗)
自分がその「九割」でない根拠などどこにもない。
うぬぼれ鏡、という例をひき、著者は「自意識のひいき目」を厳しく戒めている。
他者の思惑は、常に私たちの予想外である。
私たちはそのことを肌身で知らなければならない。
他人が私たちにどのようなイメージをもとうとも、私たちはそれをコントロールできない。
同様に、上司が部下に対してもつイメージを、部下はコントロールできない。
部下が上司に対してもつイメージを、上司はコントロールできない。
「うぬぼれ鏡」という言葉がある。
実際の姿形を映し出している鏡の像でさえ、人はうぬぼれて、自分をひいき目に見る。(後略 p153)