藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

(その七)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

第三章「文章で訴える力」をつける、から。

ものごとの本質をつかむ。

そのために「オッカムの剃刀(かみそり)」を、と。

ものごとについていくつかの説明が成り立つとき、「単純な説明の方が複雑な説明より正しい可能性が高い」とする原則である。

英の神学者だったというウィリアム・オブ・オッカムは、この無駄を排する考え方で、当時(十三世紀)支配的な定説である天動説、に変わる考えをまとめたという。

一目瞭然のテクニック


著者の心がける文章構成のエッセンス。
これもメモっておく。

1.結論を冒頭にもってくる
2.短文を使用する
3.大番号、小番号をふる
4.ポイントを強調する
5.図表、別紙などを使う

第四章「客観的に見直す習慣」をつける


章の題字のよこにちんまりと。

自分中心をやめた人が成功する。

いよいよ佳境だ。

人間の目は、他人を見るようにできているが、自分を見るようにはできていない。
鏡や写真を見れば、かろうじて自分らしい者を見られる気がする。
だが、「自分を見ている」と思ったとたん、もう、その「自分を見ている」という思いが、自分の姿を実体より美化してしまう。
ソフト・フォーカスのかかった「美しい自分」を見てしまうのである。(中略)


世の中で起こる判断ミスのほとんどは、自分の視点からしかものを見ようとしないことにある。
つまり、相手の視点に立てないことにミスの原因が潜んでいる。


ただ、相手の視点を理解することは、実に難しい。
自分の利害や支店をいったん停止して、相手の立場を思いやるのは至難の技といってよい。(中略)


くり返すが、自分と対立する他者の存在を知ることは、すべての人間関係の成功の鍵である。


「単なる他者」でなく、「自分とまったく違う他者」「自分と対立する他者」の存在を知ることが必要である。
いわば、「異質の他者」を知ることである。
単に相手を知るのではなく、相手を理解するレベルにまで至れば、鬼に金棒といえる。


「自分には他者感覚は充分ある」という読者も多いであろう。
だが、ここでいう他者感覚とは、頭で考える他者感覚ではない。もっと身にしみて他者の存在を知ることである。

この他者感覚をもつことができれば、上司と部下、夫婦、親子など、あらゆる対人関係、対世間関係を上手にころがしていくことができる。(後略 p146)

哲学者サルトルは「地獄とは他人である」といったそうだ。
他人がいかに自分とは「完全に違う」価値観をもつか、ということを表現しているという。


また著者はその経験から、サラリーマンの実に九割が自分の評価を過ち、その多くは「正反対の評価」つまり「自分がよかれ」と思うところのみほじくり、人目に障っているだろうことには気づかない、と絶望的な指摘もしている。


気をつけねば。(汗)
自分がその「九割」でない根拠などどこにもない。
うぬぼれ鏡、という例をひき、著者は「自意識のひいき目」を厳しく戒めている。

他者の思惑は、常に私たちの予想外である。
私たちはそのことを肌身で知らなければならない。
他人が私たちにどのようなイメージをもとうとも、私たちはそれをコントロールできない。


同様に、上司が部下に対してもつイメージを、部下はコントロールできない。
部下が上司に対してもつイメージを、上司はコントロールできない。


「うぬぼれ鏡」という言葉がある。
実際の姿形を映し出している鏡の像でさえ、人はうぬぼれて、自分をひいき目に見る。(後略 p153)