藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プロフ=その人ではない。

ここ数年幾度か「経歴詐称」の報道を耳にする。
聞き流していたが、何が問題なのだろうか。
過去の経歴なんてどうでもいいじゃないか、と思っていたけれど、これだけ問題にされるということは「自分たちは"人を"経歴で見ている」ということなのじゃなかろうか。

人材の採用面接などでも「人物を見る」というけれど、一方「過去の経歴に注目せよ」という話も根強く残っている。

詐称したくなるほど、未だに「経歴」ってやはり自分たちの価値観に大きなシェアがあるのかどうか。
「○○大卒、△△会社を経て、××カンパニーを立ち上げる」なんて話を聞くと、どうも想像力が働いて「ある種の固定観念」が出来上がる。
それはそれで正しい部分もあるけれど「あるがままの本人」を色眼鏡で見ている感は拭えない。

「価値観の補強」ということだろうか。
自分たちは他人と触れ合う時に、どうしても「事前情報」を仕入れたがる。
相手と簡単なプロフィールの交換をして「理科系ですね」とか「海外のメーカーですか」などと無意識に"コミュニケーションの縁(よすが)"を探している。

経歴とか国籍とか民族とか、確かに「その人を知る」上では重要な要素なのだが、くれぐれも「それありき」でその人の理解にバイアスをかけたり、恰も「経歴=その人」に逆転せぬようにしたいものだ。
過去の話なんて過去の話でしかない。