藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

決意しないこと。

禁煙とか、禁酒とか。貞操とか。


早起きとか、練習とか、習慣とか。
何かを「決意」。


これが曲者か。
決意すると、その「決意」に引きずられる。
自分の中にハードルを作ってしまうというか。


ハードルを越えねばならぬ、というような意識というか、固定観念のようなものを構築してしまうような。
それがあってもよいのだが、毎日毎日とか、あるいは「これからもずううっと」とか。
そんな風に思うとちょっと肩がこる。というか。

そういえば、自分が禁煙したときもそうだった。

「決意」から遠ざかること


まだ何でもできる、という域には達せてないが。
(禁酒はできてないわけだし)


決意し気持ちの中に「ハードル」を作ってしまっては、それがアダになる。
なのでハードルを作らない。
ということは意識しない、ということ。


すると「毎日毎日」それ、を飛び越えねばならぬ、という「意識」から解放される。
自分は何か「しんどい」ハードルを毎日毎日、飛び越えているのだ、というのではなく。
スイスイと普通に暮らしているだけだ。と。


「何事も」そんな風に捉える術を使えれば。
いろんなことは、もっと身について、成功できるのではないか。

何かやりたい、と思ったら決意しないこと。

ちょっとこれ好きな異性に対する時と似てないか。
よく昔、あえてそのコに興味のないふりをしたものだ。


けど恋愛ではこの術はあまりよくないようだ。
だってそれで付き合えたためしはないものなぁ。


恋愛は積極的に、明るく。