藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

他人の不幸は蜜の味、か?


関西でよく聞いたギャグ「他人の不幸は蜜の味」というのは関西人のタチの悪いジョークだと思っていた。
が。

科学的に脳を調べるとそれが「おいしい」ことが本能的にインプリント(imprint)されているというではないか。

ただのジョークではなかった。

妬ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働くという。
13日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。

サイエンスにまで発表。
となるとこれは冗談ではない。
「妬ましい人の不幸は蜜の味」。


まあ自分の忌み嫌うほどのヤツが、なにか不幸に見舞われてると、「フン、いい気味だ」というのは、正直ある。
が、「妬ましい人」なんてそうみれば限りなく多い。
友人だって、先輩だって、子供だって、いってみれば妬ましいことだらけだ。


若いヤツなどそれだけで妬ましい。
まあ直線的には。


で、それはともかく。

自尊心の浅さ


「妬ましい」というこころには正直に「悪魔の顔」が覗く。
これが「妬ましくない」たとえば明らかに自分より不幸(と自分が思いこんでいる)な存在だと「気の毒だ」となる。
いったいこの差は何か。
基準は全部「自分」なのか。


自分の『満たされ度』みたいなものを基準に「いい気味だワイ」と「なんて気の毒な」との反応の間をブレている。
結構くだらぬ。


『他人の不幸は本当に不幸だろうか』あるいは
『気の毒な人、と見える人の日常は本当に不幸だろうか』

自分などでは、一定の規律で支配されている、と思っている「感情」が、実は「自分からの見え方だけ」でしか位置づけられていないことの驚き。

やはり「他人の不幸は蜜の味」ではない。

その皮相的な感情の動きに惑わされてはいけない。
「そう思う」自分の感情こそ、感情のあるがままに浮き流されている。



「そんな感情」が湧いたら、すぐに自制したいものだ。
「いやいやまて。本当にそれって良いことなのか?あるいは悪いことなのか?」と。


他人の不幸 科学的にも蜜の味だった


他人の成功や長所を妬(ねた)んだり、他人の不幸を喜んだりする感情にかかわる脳内のメカニズムが、放射線医学総合研究所や東京医科歯科大、日本医科大、慶応大の共同研究でわかった。
妬ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働くという。
13日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。

研究チームは、健康な大学生の男女19人にシナリオを渡して平凡な主人公になりきってもらい、ほかの登場人物に対する脳の反応を磁気共鳴画像装置(fMRI)で調べた。主人公は志望企業に就職できず、賃貸アパートに住みながら中古の自動車を所有するという設定。
大企業に就職し、高級外車を乗り回す「妬ましい」人物が登場すると、身体の痛みにかかわるの「前部帯状回」という脳の部位が活発化した。自分と同じく平凡な人生を歩んでいる登場人物には、この活発化が見られなかった。


次に「妬ましい」人物を襲った「会社の経営危機」や「自動車のトラブル」などの不幸を示したところ、報酬を受け取ったときの心地よさにかかわる「線条体」が強く反応。この反応は、平凡な友人の不幸では見られなかった。
また、妬みの感情が強いほど、不幸が訪れたときの反応が活発だった。


放医研の高橋英彦主任研究員は「線条体はおいしいものを食べたときにも働くことが知られる。
他人の不幸は文字通り“みつの味”のようだ」と話している。
<産経ウェブより>