藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

物事の本質。


麻生発言など見ていると、首相というのは政策運営のトップ、というよりは政治の頭領、つまり衆参の「次期選挙を勝てるための人」ということか。


自分など一般市民の立場からはどうしても政策とか景気とか、「正論の目」で見てしまうのだが、どうも違う。
政治家は、選挙落ちれば「只の人」。とは言い古されたスローガンだが。


「この発言で支持率が落ちる」
「今解散なら勝てない」
「こんな給付金では景気は上向かない」
「これでは勝てない」

『選挙に勝てるか勝てないか』

が自己目的化している。
これはくだらぬ。


国の制度をドライブする人たちが、その船が「本筋でどこへ行くべきか」を第一に考えず、「どうすれば船頭でいられるか」ということに目がいくのは本末転倒。


というか、そんな船は嵐にあって遭難したり、氷山に激突したりするのではないか。
沈む船では誰が船頭になっても不毛である。


首相の瑣末な発言がどうこう、ではなく日本丸が本筋で何処へ行くのか、を本気で考えてもらいたい。

失業の果て


商社が農業ビジネスに乗り出したり、若い人が農家を志向したり、なかなか良い傾向が出始めているようだが。


それにしても、メーカは人員削減の嵐。
株式を上場している会社の宿命を見るようだが、「このまましばらく耐える」という選択肢は株主の手前、許されぬのだろう。

この状況を景気刺激策、とかで支えきれるという感覚はどうかしている、と思う。

今は市場の構造が変わる端境期、ととらえて事態が落ち着くまでライフラインを確保することだろうと思う。
失業した人に二万円払おうが、百万円払おうが、あまり景気には関係ない。
むしろムダに費消して、それで景気が持ち上がったとかどうこう言うのはまったく本筋ではなかろう。
最低限、命の保証。


それ以上も、以下もなくてよいのではないか。


自分たちが本当に共感できるリーダーの話を聞き。
これからの地域の在り方に賛成もでき。
むずかしいけど、そんな「地域の発展」に寄与できて、またビジョンを示せる人だから、地域のリーダーたる理由があるのだろう。


そんな意味では、政治家もリーダーも、今は見分けやすいのかも知れぬ。
ネガティヴなくらい顔をして演説しているオッサンはよろしくない、たとえ二世議員でも。


明るく。
地道に。



これからのリーダーはカリスマではなく、どれほど着実かどうか、が問われるのかも知れぬ。
ともかく、もう政治的なごまかしはきかぬのだ、ということを今の政治家たちは再認識すべきだろう。