藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

政治家の所作


もとより自分も、聖人君子などではない。
下心などありありだ。


だが。
だがそれが「今の自分の立場」を逸脱したら辞任は必須だ。
しかし、それが国の為政者や大臣だったなら。


イヤなのは。
「それ」がこの国の大人の「平然とやること」の一つなのだ、と後世の若者たちに思われること。
これは重大だ。

自分たちの孫子まで、「ちょっとヤバいことがあったら、自分の株だけを先に売ってしまえばいいんだ」

などという種族が将来繁栄し得るだろうか。


6億円儲けようが、保全しようが、そんなことはどうでもいい。
むしろ、隠れてやれ、といいたい。

本当のエリート


欧州の貴族に比べ、「本当のエリート」は日本にはいない、とはよく言われる話。
エリートは、その持てる財産や、地位や、家柄や。
それに加え、最も貴重なものは「プライド」ではないのか。


ゆえにたとい、一時没落しようとも、その磨かれた感性や気品、価値観はまたいずれ「あらたなる時代のリーダー」として芽吹くのだろう。


それが現役の閣僚が、時代のバウンドに合わせてチョロッと株を売り抜けたり、またインサイダーで先買いしたり。

あざとし。

ちっちゃい。

少しでも「政治」に携わる人間は「浮世の損得」からは一線を隔す、という当たり前の気概くらいは備えていてもらいたい。

汚職収賄にまみれる中国やイタリアの官民も見苦しいが、政治の重要性と、「そこ」に自分がかかわる栄誉をもっと誇りに持ってもらいたいものだ。


将来、「国策」を正面から考え、国を憂い、挺身して「政治」に身を捧げる後輩たちが出てくるためにも、あまりにショボい現世の価値観を引っ張る出来事は終わりにしたいものだ。


政治は「国を治める」ことであり、「利権ありき」でひっぱられるような卑しいものではないはず。
そんなことを当然に自分の価値観としてとらえる若手政治家、が次世代を引っ張るのだと思う。


時代の決算、とはいえ「我が身可愛き」問題がとても多い。
時代の節目、次世代との対比がより鮮明になってきているのかもしれない。


現役大臣の言にそんなことを想う。