藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

夢を持つ力。


大人になると、いや二十代三十代などを過ぎると「夢見る青春時代」というのは名実ともに萎み、なんだか「押し寄せる現実の波」の波間に翻弄されて、ふと「夢ってあったっけ?」と不思議な気持ちになったりする。

ふと気がつくとそんな虹色の夢はなくなっている。

中年、とはそういうものかもしれない。
もう夢ばかり見てもいられない。
でも夢のないのは悲しいことじゃないか。
でももう無限に時間もあるわけではないし。
ああ、夢と現実の間に挟まるのが40代なのだろうか。(遠目)

だから夢を持とう、というのは何だか簡単だけど、かなり良いこころの健康法であることに気付く。

そういえば、夢のある周囲のオッサン、おばはん達はとても元気である。


「料理を、しかも和食を作れるようになる」とか
「日曜大工でホームセンター通いをして、部屋を改造する」とか
「東京のイタリアン全件制覇」とか(ムリだろうけど)。
そんな壮大なものでなくてもよい。
自分が「ちょっと楽しく」明日を生きられるようなテーマが最も重要なのだろう。


そういえば、知り合いの先輩に「車を31台購入し、毎月1日から月末まで違う車を楽しむ」ということを励みにガンガン仕事をするアグレッシブ氏がいる。
実に生き生きと若いオッサンである。


自分たちは、夢があれば生きられる生き物でもあるのだ。