藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ナポレオンと国定忠治とショパン。


ショパン生誕200周年の今年、さらに国定忠治とも同輩になる200歳の長崎県人の戸籍が残っていたという。
日本は国の歴史が長いだけに、本格的な戸籍の整備が明治時代にずれこんだ。
それまで統一的な管理システムがなく、ローカルの寺や藩がまちまちに管理していた、ということが原因である。
ところがシステムに疎い国民性ゆえだろう、明治の近代になっても「統一番号」という概念を織り込めなかった。
欧米各国が早々と「背番号制」を敷いたのに対し、実に200年経った現在でもこの問題は解決していない。


少しでも勘を働かせれば、200年前に「国民統一番号」が採用され、それが政府や役所のサービスとして
・車のナンバープレートとか
・運転免許とか
・戸籍とか
・土地登記とか
・住民票とか印鑑証明とか
・納税者番号とか
・徴税とか
・選挙とか国民投票とか


そしてさらに、定期券とか切符とかコンサートチケットとか、
銀行の本人確認とか、
ネット決済とか、
公共料金とかスポーツクラブの会員番号とか、
マイレージ会員とかポイント交換とか、


どれほどの利便性を犠牲にしてきたことか、考えるとちょっとクラッと来る人は多いだろう。

「どのように運用すれば安全でいられるか」ということを考える前に、
「こんな危険があるではないか」という意見を前面に走らせる。


我われはそんな国民なのだと強く思う。

ちょっと怒っている。
(天皇は別にして)妙な突出したリーダーシップが台頭しないのは日本の美徳かもしれない。
だが、こういう「ここ一番」の時に「なんとなく談合」してしまい、結局一番のツボを外して、その後それこそ「世紀に渡って」傷口を広げて、未だ収束せぬ問題の何と多いことか。


つくづく「多数派の『いかがなものか?』という声」に負けて、自分の決断を揺籃させてはならない、と最近よく考える。


「危険ですぞ」
「問題ですぞ」
「いかがなものか」
「必ずうまくいくのですか」


そんな声に、日常自分たちはプレッシャーを受ける。
こんな声に問題なのは「彼たち」の方が圧倒的に「優越的に」話を進められる、という点にある。
特に新しいことにチャレンジしよう、という場合、予想可能なリスクを上げることは容易だが、「そのリスクが回避できる」ということを事前に示すことは不可能に近い。
勢い「うるさい。俺の責任でやるから文句を言うな」という結論になってしまう。
(自分もこの繰り返しである)


電子政府にしても、国店番号制にしても、ズバッと「統一番号制を採る」という軸さえ決めてしまえば、その後のシステム設計はそれほど複雑にはならない。
だが、「そこ」がグラグラしていると、システム化の方針はブレにぶれ、今の日本のように「何一つ」統一したシステムの運用はできていない、という信じられない事態を生むのである。

そもそも論ですが


未だに我われの戸籍や住民票はネットでは見られないし、自分の住んでいるマンションの地番地図すら法務局に出向かずにははっきりしないという状態だが。
今回のように200才のナポレオン世代の人も残っている「戸籍の意味」っていったい何なのだろうか。
住民票、とは何のために存在するのか。
いろいろと国側の個別の「縦割り事情」で、実に多くの「ポイントカード」を無理やり持たされ、それでも「いざ自分から使おう」としたら「それはこういう事情でここでは使えません」と言われてがっくし。
今の日本の行政アプリケーションは、みなそんな「行政の勝手感」が蔓延しているのである。


週刊ダイヤモンドに特集されていたが、特許庁の数百億をかけたシステム化とか、未だデータの確定できない年金の照合作業に群がる業者群とかの話を聞くにつけ、無念の感を禁じ得ない。


政権の変わった今回こそ、「日本人の奥ゆかしさ」はともかく、「政府・行政サービスのシステム化」を実現せねば、行政の維持費だけで日本の経済は破綻するように思う。
まだ子供手当が満額ない、とか総裁選後の閣僚人事に報道の主眼は向いているようだが、「日本株式会社」の進路についてをマスコミ各社にはぜひ取材いただきたいものである。

長崎で「200歳」…国定忠治ショパン誕生
 江戸時代に生まれた人が除籍されず、戸籍上は生存扱いになっている問題で、長崎県壱岐市は、1810年(文化7年)生まれの「200歳」の男性の戸籍が残っていると発表した。


同市市民福祉課は「明治期の戸籍法に基づいて作成されたのかもしれない。
現在はすべての戸籍を電算化しているが、(電算化した際)削除するのを忘れたのだろう」と話している。

 
男性が生まれた年は江戸後期の侠客(きょうかく)・国定忠治の生年とされ、ピアノの詩人と呼ばれるフレデリック・ショパンも生まれている。
フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトも在位していた。

 同市は長崎地方法務局と相談し、除籍を検討するという。

(2010年8月27日18時43分 読売新聞)