藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

好きの追求。


こんなことも最近気付いたのだけれど。
その人の趣味とか仕事とか時間の使い方とか、そんなことでその人の「人となり」(←独特の日本的表現。いい感じである)が偲ばれる。
けど、もっと直接的に「あなたの好きなものは何?」と聞くと、モロにその人物の「ある面」が晒される。


好きな芸能人は誰?とか
好きな小説は何?とか
好きな音楽は?とか
好きな映画は?とか
好きな場所は?とか
好きな国は?とか
好きな科目は?とか

自分の「嗜好」を晒すことは、ある面で自分自身を裸にするのに等しい。
例えば、ピアニストに「好きな音楽は?」と聞かれて「ベートーベンの悲愴にハマっています」と答えたら、自分がどの程度の音楽スキルかは簡単に推し量れるだろうと思う。
好きな小説は?と聞かれ、藤沢周平と答えるか、井上靖開高健と答えるか、太宰治というのか宮部美由紀というか、村上春樹を上げるのか、ではその人の色はずい分違う。
好きな政治家、とか
趣味とか。


その人の「好きなこと」を聞くことはは「その人の人柄自身の調査」に等しい。

好きの分析。


そんなことに気付いて、改めて自分。
好きな異性とか、好きな音楽、などを「改めて自分自身で分析してみる」ということはどうだろうか。
自分自身で気付かぬ「自分」をあぶりだすことになるのではないかと思いついた。
例えば自分の好みの女性を、もうそのカテゴリーは関係なく集めてみると、意外に共通点があったり。
自分の好きな「グッズ」とか「音楽」とか「食べ物」とか「本」とか「場所」とか「部屋」とか「家具」とか「お酒」とか「お店」とか「ブランド」とか「仕事」とか「趣味」とか。


ありとあらゆる「自分の好き」を抽出して分析してみれば、意外や自分の知らない志向性が分かってくるのではないか、と思う。


まともに列挙すると、結構ショボいことになる予感。
少しづつ試してみて、また書き留めることにする。