藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

競争の中で。


日本で普通に暮らしていると、義務教育が始まる。
なんとなく「とても横並び」な日本人だけれど、学力の競争は緩やかに始まっていた。
小学校から最高学府まで。
そして社会人になってから。
あるいは没後にすら「比較される」ことすらあるだろう。
一見、自分たちは普通に生きている限りは、競争とは「不可分」のように思える。


自分の競争を振り返ってみる。
小学校から中学二年当たりまでは、特に苦労はなかった。
日々の学校の授業の内容は、むしろ退屈で、試験のために特段の復習なども必要なかった。
さて、高校へ進学することになり、「あなたは学校で何番目の成績か?」ということと初めてまともに向き合うことになった。

数字はある意味冷酷であり、「大体のトップグループ」というカテゴリーではなく、フジノは国語は何番、数学は何番、理科と社会は何十番、というふうにシビアに表現される。
この時初めて「自分はトップではなく、あきらかに自分より学力の上の者が何人もおり、彼らとの競争にさらされている」ということを意識したのである。
そしてこの「上位の壁」は最後まで崩れなかった。


そんなこんなで一敗地に塗(まみ)れ、失意に沈みながらも高校へ進学。
私立校だったが、ここで「さらに厳しい現実」と対面する。
何だかんだ言っても、公立中学では苦労なしに上位グループにいた自分が、こんどは「そんな学力」のカテゴリーの篩(ふるい)にかかっていたのだ。

「同程度の学力の連中」に入ってしまえば、自分がどれほど凡庸なもか、ということに気づかされる。

国語や数学がある程度得意でも、「そういう」集団の中に入ってしまえば「自分程度が平均値」になってしまう。
この恐ろしさと言ったらなかった。

競争がもたらすもの。


結局自分の競争の歴史は、こんな中途半端なところで終わった。
その後は歯を「食いしばって勝ちぬく」という努力をするでもなく、また社会人になる時も「トップグループ」への登頂を目指さずに、「自分くらい」が活躍できそうな集団に身を投じたのは、私の本能かもしれない。(当時、文化系の出身でもエンジニア採用してくれる、というラッキーな時代だったし)
事実、大手商社やメガバンクに就職するトップグループの連中を見ていると、彼らの優秀さに対し、とても自分が肩を並べてスクラッチで競争できる気がしなかった。


日本の教育システムでは、社会に入ってからは明確な指標での競争はない。
同期入社の出世競争とか、異なる会社同士の地位比較とか、いろいろ言う人はいるけれど、その競争のルールは実に「ぼんやり」したものである。
そして、また多くの人が「競争」について疲れ、またそういった「目に見える指標」での競争を止めて「幸せの物差し」を別に持つようにもなってきた。


けれど、最近思う。
四十を過ぎてここ最近。
自分は競争していない。
「競争なんて他人との比較。くだらない」と敢えて自分に言い聞かせていたようでもある。
競争で誰に勝った、彼に負けた、というその「結果そのもの」に大した意味はない。
その結果から「自分の研鑽の余地」を見出すかどうか。
そのためのモチベーションを見つけられるかどうか、という意味において、競争という方法は極めて有効なのである。


他人との比較ではない。
自分の中での競争。
自分の「影」との競争、と言えばもうそこは武士道の世界のようであるが、まあそういうことかと思う。
「競う心」が失われれば、やはり"自分"は緩み、停滞する。


また競争を始めなければならない。