ショパンはもう二百年前に生まれた人だが、逆にそのくらいのレンジだと、写真の実物が残っていたり、また本人の周辺の「かなり確かな諸事情」が記録されていたりするので、とても興味深い。
徳川家康の死因が何か、とか
信長の本当の最期、とか
聖徳太子の体調はどうだったか、というような話は推論の部分が多く、ちょっとリアリティに欠けると思うのである。
ショパンは結核で39歳の短い生涯を閉じた、と聞かされていたが、専門家の分析はやはり面白い。
往時の細かな記録が残っているだけに、「まるで現代の医者がショパンを診察しているような」ことが可能なのである。
ちょっとしたタイムスリップではないか。
「結核説」に対して、早川早大教授は言う。
しかしパリに出て来る以前からすでに咳と血痰があり、20年以上の経過は有効な治療法のなかった当時としては長すぎる。自分は心臓が悪いというショパンの手紙から、僧帽弁狭窄、三尖弁狭窄という仮説もあるが、 労作時の呼吸困難は説明できても肺出血は説明できない。
わくわく。
ショパンが診察を受けている。
そして、「嚢胞性線維症cystic fibrosis (CF)に続発する気管支拡張症」ではないか、として「心臓の先天性異常」の可能性を退ける。
つまり、それが呼吸不全、喀血、熱と咳き、頸部リンパ節の腫れ、さらには「鶏とお粥と蜂蜜ばかり食べていたという食生活」までも説明できるというのだ。
そしておまけも付いていた。
というのである。
つまり、ショパンは遺伝的には致命傷にもなる肺の疾患に悩まされたが、反面で当時頻繁に流行した「腸チフスの災厄」からは逃れられていた、という何とも哀愁に満ちた仮設を導くのである。
さらには、愛人だったサンドの煙草による「受動喫煙」が「肺気腫と反復する気道感染を来した」という説まであるという。
まるで、ここにショパンとサンドが生きていて医師の見解を聞いているようである。
ショパンがあと40年生きていたら、さぞや多くの作品が残り、今の自分たちにも届いていたと思うが、それはせん無く。
ちょっと「当時のショパン」を身近に感じる、医師の洒落た考察なのでした。
鶏とお粥と蜂蜜ばかりを食べていたショパン
2010年は繊細華麗な作品で知られるピアノの詩人ショパン(Frédéric François Chopin)生誕200年になる。ショパンは1810年2月22日、 ワルシャワ郊外にフランス人の父ニコラスとポーランドの下級貴族出身の母ジュステイナの間の唯一の男児として出生した。父73歳、母77歳、次妹イザベラも70歳まで長命したが、姉ルドヴィカは48歳、末妹エミリアも「肺病」のため14歳で早世している。ショパン本人も幼少期より虚弱体質で、16歳の時に最初の大病を経験、熱と咳、頭痛、頸部リンパ節の腫れが6カ月間続いたという。
21歳にして花の都パリに居を構え当代一のピアニスト、天才作曲家としてデビューしたものの、25歳の時、高熱と喀血をみる。結核が疑われ婚約も破談になるが、その後作家のジョルジュ・サンドと交際を始め、彼女の看病と温暖なパルマやマジョルカ島での転地療養によって、寛解と増悪を繰り返しながら比較的落ち着いた状態を保つ。この間が芸術的にも最も安定し、数多くの名作が生み出された。しかし性格の不一致からやがてサンドとは離別。パリに戻ると夜毎のサロンコンサートを開き、さらに周囲の反対を押し切り英国へ演奏旅行に出かけるが、帰国後急速に呼吸不全が進行し、1849年10月17日パリで最期を迎えた。享年39。
◆結核ではない?
ショパンは最も体調の良かった30歳頃でも170cmの身長で45kgしか体重がなく、樽状の胸郭をしていて、わずかな労作でも疲れやすく消化不良と慢性の下痢に悩まされていたという。多くの伝記は彼の肺疾患を結核としている。しかしパリに出て来る以前からすでに咳と血痰があり、20年以上の経過は有効な治療法のなかった当時としては長すぎる。自分は心臓が悪いというショパンの手紙から、僧帽弁狭窄、三尖弁狭窄という仮説もあるが、 労作時の呼吸困難は説明できても肺出血は説明できない。
反復する呼吸不全と体重減少、肺出血の原因として、オーストラリアの医師オシエは嚢胞性線維症cystic
fibrosis (CF)に続発する気管支拡張症ではないかとする。嚢胞性線維症は白人に多く、遺伝子保有者は白人人口の2〜4%に達し患者も約2500人に1人の割合で見つかる。子どもが冒されると、肺感染を繰り返し、抗生物質のなかった当時では思春期以前に亡くなるのが普通だった。早世した妹エミリアはこれの重症型、39歳まで生きたショパンは軽症型ということになる。さらにショパンには多くのガールフレンドがいたにもかかわらず子どもがいない原因も、CFによる乏精子症のためではないかという。CFでは膵の外分泌機能も障害され下痢をしやすいので、鶏とお粥と蜂蜜ばかり食べていたという食生活も説明可能になる。
◆遺伝子のしわざか受動喫煙
さて、生存に不利なはずの遺伝子が集団に一定以上の頻度で存在するには、何らかの理由がある。CFについては遺伝子のキャリアーが腸チフスに耐性であるという報告がある。人口が都市に集中し衛生環境の悪かった当時の西洋では、腸チフスはしばしば流行し多くの死者を出した。代々パリとワルシャワに住んでいたショパンの先祖は腸チフスの洗礼を潜り抜けてきたのかもしれない。
またもう一つの鑑別診断としてα1アンチトリプシン欠損症(AATD)の可能性が挙げられている。この疾患も常染色体劣性の遺伝疾患で、肺気腫と反復する気道感染を来す。肺気腫の増悪因子の一つは喫煙である。ショパン自身は非喫煙者だったが、サンド女史が愛煙家であり、いずれの背景があったとしても、かなりの受動喫煙を強いられたことは間違いない。
(早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授、メディカル朝日2010年6月号掲載)◇
この連載コラムでは、豊富な文献と現代の知見を交えて歴史上のあの人を診断します。筆者の専攻は産婦人科感染症、生殖免疫学、感染免疫学。医史学にも造詣が深く著書に『源頼朝の歯周病』『ミューズの病跡学I、II』があります。