藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

平等と補償。

日弁連のアンケートで、被災地域の様子をうかがう。
全体として、生活保護、補償の件数は伸びていないという。
何が収入や補償で、何がどこまで保護されるのか。

すでに震災の対策はそうした「二次的問題」に入りつつある。
というか、「そうなるだろう」と、被災地以外に住む自分なども思っていながら、何もできていないことも歯がゆい。

災厄直後の「わけのわからぬ大変さ」から時が経つと、「どこまでを誰が補償するのか」とか「義援金はどこに優先して配分するのか」とか、「どこまで義捐すべきか」とか、責任は「東電か政府か、自治体か、原発炉メーカーか、気象庁か」と、議論の焦点は複眼化し、だんだんと拡散してゆく。

現実に生活保護一つとってみても、「義捐金の受け取りを収入とみなす」という。
ミクロには正しいのかもしれないが、全体としては「誰を何のために助けるのか」という目的を見失った行政だろう。

こうしたことは、菅政権が約束した「風評被害の補償」とか、「次期エネルギーの全面見直し」といったこれからの"根幹にかかわること"にもろに響いてくる。
こうした場合、何もない平時の平等と違い、「被災者の平等」を追求することは難しい。
だからこそ、通常の生活保護などのレベルにはない、「厳しくもキメの細かい行政の担当者」の配備が必要だったはずである。

子供手当よろしく。
「配り方が分かりません」
「被災者、生活保護対象者の見極めが困難です」

そんな学生さんのような対応が聞こえてくるたびに、役人ではなく「民間の知恵」を何とか活用したいと思うのは自分だけだろうか。

どこまでの人に、どこまでの補償をし、それで命を亡くす人を一人でも減らせるのか、というテーマは、「追求する姿勢」からしか正解は生まれない。
チェックリストからの選別作業では、現場の人は決して救われないのだと思う。

行政による、NPOなど民間の「福祉の力」を利用するシステムの活用が早急に望まれると思う。
今回の災厄が後世に残す最も大きな影響は、そんな「行政からの分離」なのではないだろうか。
被災地でも、もっとも活力の盛んなのは現地のNPOである。

日弁連が被災地でのアンケート結果を発表――東電補償金で生活保護打ち切り
日本弁護士連合会は、一〇月二四日、東日本大震災の被災地に対して行なった生活保護に関するアンケート結果を発表した。

 福島県南相馬市義捐金等の受取りを理由に生活保護費が打ち切られた問題が六月に明らかになったのを契機に、青森、岩手、宮城、福島、茨城と各県の福祉事務所計一三一カ所を対象に調査し、回答率は七割を超えた。調査内容は、震災前後の生活保護受給者と世帯数の変化、生活保護停止・廃止の数、そのうち義捐金や東電からの仮払補償金を収入と見なした数などである。

 その結果、三月一一日以前と八月一日時点の需給世帯や人数は、五県全体で三八六件の微増で、岩手、宮城、福島では減少した。ただし福祉事務所ごとに見ると、七五%減だった南相馬市をはじめ、福島県相双地区、宮城県気仙沼市岩手県陸前高田市などでは二割〜五割の減少となる。

 計四二八八世帯の停止・廃止理由のうち約一割にあたる四五八世帯が、義捐金や仮払補償金が「収入」と見なされたケースだ。自治体別では、義捐金・仮払補償金を収入と見なして保護停廃止を行なった四五八世帯のうち五割が南相馬市だった。

 厚生労働省社会・援護局保護課は、今年五月二日、生活保護申請に必要な「自立更生計画書」を記載する際、自立に必要な経費として使った義捐金や仮払補償金を「収入」と見なさないよう自治体に対して通知したが、日弁連は「通知の趣旨が徹底されていない」「実質的な説明がなされていない」と分析している。自立に必要な経費とは、運転免許など就業に必要な資格取得、教育費、介護など。

 南相馬市について、厚労省保護課担当者は「(南相馬市役所に)電話をすると、生活保護担当者が遺体搬送や遺体安置所確保に行っていたなど、いくつもの役割をこなしていた。私見だが、物理的な問題があったかもしれない」と語った。 

 震災・原発事故に伴う生活保護に関する通知の周知徹底にかかる行政コストの補償について、原因者の一角である東電は、「どういった状況かわからないが自治体の皆様とはご相談させていただければ」(松本純原子力・立地本部長代理)と説明している。 

(まさのあつこ・ジャーナリスト、11月4日号)