藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

学ぶということを考える。

日野原先生が10歳の子供に「いのちの授業」をされているという。

次世代を担う子供たちに、命の大切さ、そして、その命を守る平和の大切さを伝えたいと思ったんです。

子供を持つ親、というものが「最も伝えたいもの」というのはこれだろう。
裕福でなくとも「それ」が伝われば先代の役目は終えたも同然だとも思う。
そして「それ」が上手く伝えられない現代でもあるし、戦争を経験しない世代が「それ」についての真剣さが希薄なことも、歴史的には当然なのかもしれない。
今は人が「あまり死なない時代」になっているのだから。
日野原は言う。

僕はあの悲惨な戦争を経験しているから、戦争や核兵器には絶対反対だけど、ただ「戦争反対」と声高に叫ぶだけでは、いつまでたっても、平和は来ないと思うんだ。
ニューヨークの9・11テロの後に、憎しみの輪が世界に広がったように。
だから、命を大事にし、なぐられても相手を許すという姿勢こそが必要だと思うんです。
そして、それを子供に教えなければいけない。

こうした話が、"自分の「内声」として他人に話ができる世代"が、もうすぐ世界中から消失しようとしている。
その子供たちである自分たちの世代は、ぜひとも「そんな声」を先代から聞き、後世に伝えねばならないと思うのだ。
さもなくば、自分たちの子供、孫の世代になると、彼らはまた「征服・侵略論」を振り回す可能性がある。

冒した過ちは無くならないが、それを二度と繰り返さない叡智くらいは、自分たちでも培わねばならないと思うのである。

さらに日野原氏は言う。

「殺すなかれ、核兵器を葬れ、とのかけ声からは本当の平和は生まれなかった。
そこで、私はこう提唱したい。
人を心から愛するためにすべてを恕(ゆる)そう」と。
最後には、世界各国の子供たちが壇上に上がり、「草木を、動物を、そして人の命を愛しましょう」とメッセージを発信したんです。

戦時を直に経験し、またその後の経済社会の中で、本当の「博愛」を目指した医師の究極のメッセージであると思う。
また日野原は、医学教育にもこれから一石を投じるという。

今、一般の大学を卒業した後に入学する、日本で初めての4年制メディカルスクールを作る計画を進めていてね。
大学課程修了後に医学校で学ぶのは、アメリカに限らず、世界の潮流でしょ。
18歳で医学部を選ぶ日本の学生とは、目的意識にも学習スピードにも大きな差があるしね。
また、看護の大学院では、看護師に麻酔を学ばせたいと思っていてね。
看護師の臨床能力を高める画期的な取り組みになるよ。

社会人になってからでも、人の命にかかわる職業を学ぶことができるシステムである。
社会人を経験したからこそ、「その道に進みたい」と感じる人も多いことと思う。

100歳の大先輩がけん引する動きに、その半分でしかない自分たちが後れを取るわけにはいかぬ。
人の年齢は、つくづくその精神で決まるのである。

時代の証言者 日野原重明
(21) 命の大切さ 子供に伝える

僕は20年ほど前から、全国の小学校を回って、10歳の子供に「いのちの授業」をしているの。聴診器を持参して、友だちの心臓の鼓動を聞いてもらい、いのちの大切さを学ぶんです。

 僕の10歳はというと、母が危篤になって、人間は死ぬものなんだと初めて感じた年齢なんだね。その年になると、聴診器を使って教えることもでき、感受性も豊かでしょ。次世代を担う子供たちに、命の大切さ、そして、その命を守る平和の大切さを伝えたいと思ったんです。

 出張授業はほぼ月3回のペースで、一緒に、野口雨情が作詞した「しゃぼん玉」を歌ったり、ボランティア活動の大切さを説いたりしてね。しゃぼん玉は長女を亡くした雨情が、はかない命をしのんで作った歌なんだね。それと、ボランティアというのは、ほかの人に、命の証しともいえる自分の時間を提供するわけでしょ。命の大切さに深くかかわっているんだね。僕の生き方のモデルであるオスラー先生も子供が大好きでね。僕はいつも、子供たちからは逆にエネルギーをもらうんです。

 僕はあの悲惨な戦争を経験しているから、戦争や核兵器には絶対反対だけど、ただ「戦争反対」と声高に叫ぶだけでは、いつまでたっても、平和は来ないと思うんだ。ニューヨークの9・11テロの後に、憎しみの輪が世界に広がったように。だから、命を大事にし、なぐられても相手を許すという姿勢こそが必要だと思うんです。そして、それを子供に教えなければいけない。

 2005年10月に、指揮者の小澤征爾さんと広島市で開いた「世界へおくる平和のメッセージ」という音楽会にも、そんな思いを込めたんです。7000人の観客を集めて、小澤さんが、フォーレの「レクイエム」を指揮し、僕は自作の詩を朗読してね。「殺すなかれ、核兵器を葬れ、とのかけ声からは本当の平和は生まれなかった。そこで、私はこう提唱したい。人を心から愛するためにすべてを恕(ゆる)そう」と。最後には、世界各国の子供たちが壇上に上がり、「草木を、動物を、そして人の命を愛しましょう」とメッセージを発信したんです。

 僕は、子供と、その子供に戦争体験を伝えることができる老人こそが、平和な世界を作る原動力になると思っていてね。だから、新老人の会の会員をもっと増やして、日本を真に平和に貢献できる国にするために、政党からは独立した民間の運動を起こすのが僕の目標なの。

 長年かかわってきた医学教育にも夢があります。今、一般の大学を卒業した後に入学する、日本で初めての4年制メディカルスクールを作る計画を進めていてね。大学課程修了後に医学校で学ぶのは、アメリカに限らず、世界の潮流でしょ。18歳で医学部を選ぶ日本の学生とは、目的意識にも学習スピードにも大きな差があるしね。また、看護の大学院では、看護師に麻酔を学ばせたいと思っていてね。看護師の臨床能力を高める画期的な取り組みになるよ。

 小澤さんとは、4年後には再び、平和のコンサートを一緒に開く予定です。僕は100歳で、小澤さんは76歳になる。そのためにも、もっと長生きしなければね。(敬称略、おわり)

 この連載は、社会保障部の阿部文彦が担当しました。 =2007年に読売新聞朝刊に連載されたものです=

ひのはら・しげあき
聖路加国際病院内科医長、院長を経て、1996年から理事長。旧厚生省医師研修審議会会長、国際内科学会会長などを歴任。現在、聖路加看護学園理事長、財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、日本音楽療法学会理事長などを務める。2005年、文化勲章受章。

(2011年12月10日 読売新聞)

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