藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

勝者なき諍い。

長崎原爆の被爆体験者訴訟がいよいよ結審に向かうという。
それにしても、痛ましい。
こうした災厄は、結果被害を受けた人が、周辺の人たちを巻き込みながら、「見えない行政」というものと戦っていかねばならない。
本当に被爆の被害かどうか、ということはともかくとしても、「そうに違いない」と信じて戦う人たちの労力といえば思うに余りあるものである。

かといって、行政が限りなく疑わしいものを補償し、永遠に続ける、ということもできないのだろう。
この構図は、今年の震災被害にもそのまま当てはまる。
「賠償、補償されるべき人たちと、補償すべき線を引かねばならない行政」との間では、正にこれから超長期戦が待っている。
どちらもが敵味方、というわけではないのに、こうした権利闘争をせねばならないのが、戦争や自然災害の最高に無念な部分ではないだろうか。

過去の戦時の轍も今まさに目の前にある。
今年の震災の賠償処理については、少しでも過去の英知を役立て、復興への力に振り向ける努力を政治と行政はより一層傾けてほしいと思う。

12キロ圏でも認定外 被爆体験者訴訟が結審 長崎地裁
長崎原爆の爆心地から同じ12キロ圏内にありながら被爆地域外とされ、被爆者と認められていない「被爆体験者」の395人が国、長崎県長崎市を相手に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟が26日、長崎地裁(井田宏裁判長)で結審した。原告は放射性のちりによる内部被曝(ひばく)があったと主張して争ってきた。判決は来年6月25日に決まった。

 長崎の被爆地域は当時の行政区域を基に線引きされ、爆心地から南北12キロ、東西8キロと形がいびつで、同じ半径12キロ以内でも被爆地域でない場所がある。この地域にいた被爆体験者は、医療費の自己負担分が被爆者のように国負担にならないなどの格差がある。

 これまでの審理で原告側は「放射能の影響を疑われる者こそ真の被爆者の定義であり、原告はそのような事情にあった」と主張した。これに対し、被告の国などは「この地域で測定される放射性物質は原爆と無関係の地域で測定される量と大差ない」と反論した。

 原告は2007年11月に最初の22人が提訴し、08年11月までの追加提訴で395人に増えた。別の第2次訴訟にも161人が提訴している。この日の最終弁論で、爆心地の南10.5キロ地点にいた原告の一人、岩永千代子さん(75)が「12キロ圏内のどこも原子雲が覆い、放射性降下物が雨やちりになった。内部被曝は明白だ」と意見を述べた。