藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

気持ちは身体に勝り、決して負けないこと。

負け犬根性、という表現がある。

あるいは「勝ち組」と「負け組」という表現はここ十年くらいでよく耳にする語彙でもある。
この意味するところ、実は重大であると思う。
負け犬根性、とは「人という"ハードウェア"に入る」重要なソフトウェアなのである。
この「根性」というプログラムは、すなわちハードである「人の体」を支配する。

【根性】
1 その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「―の腐った奴」「島国―」「やじ馬―」

根性こそ、本来的に持っている遺伝子的な特質なのである。
だから「負け犬根性」はとっても問題なのだ。


自分を支配する考え。
行動の拠り所。
価値観の基準。
そんなものが「負け犬」になってしまっては、もう先の希望が失せる。

まけ‐いぬ【負け犬】けんかに負け、しっぽを巻いて逃げる犬。敗残者のたとえにいう。「―の遠吠え」

現実の勝負では、つらいことはまま多い。
失敗、挫折、迷走の連続が人生である。
一分の恵まれた才能の人を除き、そう思う。

「うまくいくこと」と「つらいこと」を比べれば、つらい記憶の方が多いのが凡人ではないだろうか。
だから、心が「負け犬」になってはならないと思う。

実はその時が本当に「負け」である。

そして志はなんと"諦めたとき"が終わりだという。

どれほど挫折しても、惨敗しても、自ら「心のうち」だけは白旗を揚げてはならない。

白旗を揚げた"その時"こそ、まさに敗北の瞬間なのである。

仕事であれ、
友人関係であれ、
学業であれ、
異性関係であれ、
人生観であれ、
趣味であれ、
遊びであれ、
家族であれ、

「尻尾を巻いて逃げる犬」であらぬようにしたい。

どれだけ「そんな気持ち」になっても、常に顔を上げ、背筋を伸ばして正面を向き、少し口角を上げて穏やかな顔をしていたいものだと思う。