藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

衆愚と言うなかれ。お為ごかしの増税ではなく。

最近、政策やマニフェストで"骨太の○○"という言い方をよく耳にする。
まさに、枝葉末節にとらわれず「根幹」についての政治思想を貫く、という態度に聞こえるが、実際の政治はますます"瑣末な議論"に陥っていると思えてならない。

消費税増税は、ついに8%で一旦の決着をみるという報道である。
「1%あたり二兆円」という触れ込みだから、これで「6兆円の増税試算」ということなのだろう。

すでに必要経費である国家予算の六割が租税収入、三割が借金、という日本である。

しかも、国民の税負担の割合は個人でみるとEU先進国の半分程度でしかないという。

問題は、この国のグランドデザインである。
"落とし所(meeting point)をどこに持つのか?"ということは、物事を進める上では非常に重要な戦略に属する。
交渉する二者が、互いにどれほど隔たりがあろうとも、その「落とし所」を間違わねば、互いの思惑は何処かで一致できる。

逆に始末が悪いのは、情熱は熱くとも、「妥協点を考えていない人たちの議論」なのである。


人口構成のピラミッドとか、いろんな事情があって、日本はもう80数兆円の国家予算のうち1/3を借金に頼らねばならなくなっている。
まあこれが現実である。
「予算の骨格」が目処が立たぬうちは、与党も野党もない。
どちらも詮無い話でしかないのである。

消費税が40%になるような欧米型でも、国民皆保険生活保護や年金が犠牲になるような予算でも、ともかく"行く先"を決めねば、議論も始まらない。
今の与党に浴びせられる批判は、主に「根本的解決に至らない論議の多さ」についてであろうと思う。

国民は衆愚、と言われつつも実は「薄々感じる感性」はそれほど鈍くはない。
今後半世紀から百年後に至る「日本の在り方」を繰り返し提示し、唱えるリーダーが出現すれば、段々と自らの思考も切り替えてゆく国民だと思う。

文句ばかり言うようであれ、確たるリーダーシップがないと「適当に消費税を上げ、けれど低所得者に補助は出し、子供手当も増額する」という国民目線で見て"結局それでは国が成り立たないじゃないか"という最悪の導きにしかならない。


国民的道徳があると信じ(それを担保に)、いちいちビビることなく、「これからの設計図」を大胆に示してみることこそ、今の状態をブレイクスルーするために必要なことではないだろうか。
今政治家に必要なのは、そうした信念と勇気なのである。
いちいち国民の顔色を窺う必要などないだろう。