藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

一方通行の終わり。

小樽では初雪が降ったという。
季節は移ろう。

朝日新聞の「橋下報道」が物議をかもしている。
橋下氏が同和地区の出自だとて、それが何ほどの騒ぎだろうか。
メディアはこれまでの「報道姿勢」について考えを改める必要がある。
色んな見方があろうが、自分はメディアの信ぴょう性がついに最期を迎えているのではなかと思う。

ネットに気圧される中、また最大の仕組みであった「マス広告システム」が無力化される中で、いつかは「閾値」を越えて旧体制が瓦解するのは時代の宿命である。
権力の横暴を防ぎ、マス・コミュニケーションとしての報道の使命が戦後のマスコミの"錦の御旗"だったが、ついに自らの「寄って立つ場所」を、「思想的なポジションから、扇動的な報道屋」へと変えてしまったと思う。

権力や体制にモノ申す、という存在のはずが、もっとも危険な「買ってもらうためにゴシップを作り出す」というミイラ取りになったのだ。
マスメディアがあまりに思想的に、つまり「右か左か」といった話に言及するのは、一般市民にとっては結構うっとおしいものである。
しかし、「多数の目に触れる報道機関」としてのマスコミの役割はそろそろ終わり、「伝達はネットワークに」そして「思想的なリーダーシップは選ばれた人に」という分化が進むのではないだろうか。

もう「伝達と広告と思想」を一緒くたにして、今一つ見分けのつかない「混沌とした姿」のマスコミは必要なくなるだろうと思う。
それだけ、みな自らの立場をはっきりせねばならないし、また「上にも下にも阿(おもね)る」というこれまでありがちだった態度は許されない。
日本もついに、メディアも個人も「あなたの考えは何ですか?」を問われる時代に入ったのである。
ネットの効果はこんなところにもあったのだと思う。

橋下氏に関する連載、週刊朝日が打ち切り発表

 朝日新聞出版(東京都中央区築地)は19日、「週刊朝日」10月26日号で始まった橋下徹大阪市長に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」について、2回目以降の掲載を打ち切ると発表した。

 理由について、河畠大四・週刊朝日編集長名で、「記事中で同和地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました」とのコメントを出した。次号で「おわび」を掲載する。
 これに先立ち、橋下市長は19日、市役所で記者団に、「次号の掲載内容を見ていきたい」と述べ、次号の「おわび」を踏まえて対応を決める考えを示した。社としての見解が出るまで取材に応じないとしている親会社の朝日新聞については、「週刊朝日次号のおわびが、実質的に朝日新聞社グループとしての見解と受け止める」と語った。

(2012年10月19日20時10分 読売新聞)