藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

介護待ったなし。

朝日webの「家族介護」についての実録記事。
親や祖父母の介護が、リアルに3-40代にのしかかってきている様子がうかがえる。

報道では、憲法九条の集団的自衛権専守防衛などなど、が話題にかまびすしいが、

(自民党は)憲法24条に「家族は、互いに助け合わなければならない」との一文を加え、参院選公約にも盛り込んだ。

という。
これが社会保障費を削減する意図なのか、と物議をかもしているがただ「この一文」だけを見る限りはおかしな内容ではない、と見えてしまう。

「親の介護は家族で」という一見自然な行為も、様々な事情から「自分と要介護者」という対峙になったとたんに、その重みは急激に増し、仕事の離職や自らの結婚などにもモロに影響してくる現実がある。

介護業に従事している友人は、酒の席でふと「どうやったら自分はコロッと死ねるか、とつい考えてしまうんだ」としみじみ漏らす。
哲学的な死生観、というレベルにも通じるが、誰にもいずれ到来する事態をあらかじめ考え、そして備えておく、ということがこれからの"高齢化ニッポン"には必要なのだろう。

こうした事態に、世界でもいち早く突入する自分たちが、そのお手本となるべくありたいものである。
日本人にはそうした資質があるように感じるのだがどうだろうか。

親の介護に縛られる娘たち 「出産リミット」に焦りも
【机美鈴、中林加南子、丸山ひかり】家族の介護は家族で――。超高齢社会を迎えた今、そんな風潮が再び強まりつつあるように見える。結婚や出産、就きたい仕事。若い世代、とりわけ女性が、家族の介護のために支払う代償は小さくない。
    ◇
 「ここは、牢屋だわ」
 埼玉県のグループホームで暮らす母(66)がつぶやく。その言葉を聞くと、病院職員の女性(37)は胸が苦しくなる。「もっと頑張るべきだったのでしょうか。でも、もう限界だった」
 父が急死して3年、母は59歳で若年性認知症になった。離婚して実家に戻ってすぐ、女性は、冷蔵庫にキャベツを何個もためこむ母の異変に気づいた。同居の兄は結婚を機に家を出たが、デイサービスやショートステイをフル活用し、ひとり介護を続けた。
 恋人ができた時期もあったが、続かなかった。デート中にデイサービスの職員に呼び出されたり、夕飯を作るために午後5時に帰宅せざるを得なかったり。「シンデレラみたいだった」
 5年間奮闘したが、母の妄想や暴言は激しさを増した。ヘルパーの人繰りもつかなくなり、2年前、やむなくグループホームへ。ただ体力のある母は外出も大きく制限される暮らしになじめず、時折「生きていても仕方ない」などと口にするようになった。
 母がホームに入った後、結婚相談所に入会した。同世代の男性を希望したが、紹介されたのは50代。相談所の担当者から「男性は自分より若い女性を選ぶ」と言われた。「女としての市場価値が、5年間で急落したみたい」と話す。
 結婚して、子どもを産みたい。孫ができれば、母の癒やしになるとも思う。「出産のリミット」を考え、気持ちは焦る。
    ◇
 滋賀県東近江市理学療法士、橋中今日子さん(43)は、3人の家族を在宅でみている。重度の知的障害がある弟(39)の世話をしていた5年前、母(71)が倒れて寝たきりになった。最近は、祖母(92)の認知症も進む。
 障害者の支援制度や介護保険サービスは、使える限り利用してきたが、働きながらの介護は容易ではなかった。毎朝、3人の身支度に2時間半かかり、昼休みには昼食の支度のため帰宅した。
 8年間付き合った男性とは、別れた。2人で会っている時も、途中で食事を作りに家に戻っていた。「彼より、家族を大事にしすぎました」
 ため込んだ感情が爆発したのは、昨年の秋。手を動かせない母がもどかしくて、思わず「どうして歯磨きできないの」と怒鳴っていた。私がしっかりしないと、ほかにやる人はいない。でも、自分の幸せはどこにも見えない。25歳で父が亡くなって以来、泣いたら負けだと思ってきた。声を殺して初めて泣いた。
 上司らの勧めで、今年2月に休職。「死にたいと思ったこともあるけれど、気持ちに余裕ができました」。今はどんな形で復職するかを探っている。
 施設も介護の手も足りない。「家族のケアは家族で」という状況は強まっていると感じる。「介護の苦しさは、時に家族の心を引き離す。つらいと言えない人ほど追い詰められ、犠牲にするものが多いのではないでしょうか」
    ◇
 都内に住む女性(33)は、祖母(91)の介護のため、昨秋、物流会社の契約社員の仕事を辞めた。心臓に持病を抱える祖母は、足腰も弱く、常に誰かがついていないと心配だ。これまで日中は祖母の世話をし、夜勤の仕事をしてきたが、体力的に限界だった。
 父は約10年前に病気で他界。専業主婦だった50代後半の母は、父が病で倒れてから家計を支えるためにパートで働き始めた。八つ下の弟も働きに出ている。
 自分も働いていたいという気持ちは強かったが、「嫁だから」という理由で母に介護を押しつけたくなかった。弟との分担も考えたが、「男の子だから、このままバリバリ働いたほうがいい」と自分が引き受けた。
 祖母の介護に終わりは見えない。今後のことは、家族とまだ話し合えていない。
    ◇
 介護保険財政は行き詰まり、利用の抑制が課題になっている。「施設から在宅へ」が近年の潮流だ。
 高齢の親と独身の子だけで暮らす世帯は増えている。厚生労働省国民生活基礎調査によると、2010年は約383万7千世帯。高齢者のいる世帯の2割近くを占める。
 1982年から介護に関する電話相談を受ける「認知症の人と家族の会」東京都支部によると、82年度と一昨年度の記録を比べたところ、介護をしている相談者の割合は、「嫁」が43%から9%に減る一方で、娘・息子は27%から40%に増えていた。
 NPO法人「介護者サポートネットワークセンター・アラジン」(東京都)の牧野史子理事長は、「息子」の介護者も増えているが、「娘」の介護者との違いを感じるという。「『娘なのだから、親の介護をするのは当たり前』と思われやすい。兄弟がいても自分だけ仕事をやめ、介護を引き受ける人もいる」
 介護の「家族回帰」を危ぶむ声もある。
 自民党は昨春に発表した憲法改正草案で、「個人の尊厳と男女平等」をうたう憲法24条に「家族は、互いに助け合わなければならない」との一文を加え、参院選公約にも盛り込んだ。明治大法科大学院辻村みよ子教授(憲法ジェンダー法学)は「家族間の相互扶助をはっきりとうたうことで、社会保障政策が削られる傾向に拍車がかかるのでは」と心配する。
 介護問題を長年取材している作家の沖藤典子さんは、「結局、家族の負担が増える方向に揺り戻されている」とみる。「介護保険の創設で、『介護は嫁がやるもの』から『プロを活用した方がいい』という意識に変わったはずだった。それが今、未来ある子や孫に負担が移り、仕事を辞める人までいる。それでは介護される人もいたたまれない。国は家族間の愛情を利用すべきではない」と話す。