藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

書籍の検索力。

ネットサーフィンは、多くの情報を収集しているようでいて、実は効率の悪い過ごし方かもしれない。

先ごろ数日日本を離れていて、偶然「まったくネットも携帯電波もない環境」に数日身を置くことになった。
電波レスになってもしばらくはwi-fiを求めて、ホテルのビジネスセンターとかをうろうろしていたのだが、結局は頼みの綱のi-PadがOSのバージョンアップのせいでロックされてしまい万事休す。
海外のPCでは日本語使用は絶望的で、ついにネットを諦めることにしたのである。
あーすがすがし。

たまたま溜まっていた本や雑誌をたくさん持って来ていたので、普段ならPCに向かっていたであろう時間を全部読書に振り向けてみた。
ほんの二日ほどで、なんと持って行った十数冊の書籍はすべて片付いたのである。

検索の手間

自分でもその掃けかたには驚いたのだが、理由は簡単だった。
「本とか週刊誌」はその検索のやり方が常に一定であり、取捨選択のスピードが段違いなのである。

巻頭のあたりか巻末、に目次のない印刷物はほとんどないのである。
検索の効率。
これは大きい。

一方、ウェブでメールやサイトのチェックなどしていると、(特に調べものなどしている場合」、自分の知りたい情報がどこに格納されているのか?を発見するのに意外に時間がかかっている。
例えば官公庁の統計や白書などを見て、自分の辿りつきたい図表にたどり着くのは意外に骨が折れるし、また古い物しかなかったりしてがっかりして諦めてしまうことも多い。
こうした場合、(もちろん図書館にわざわざ行くよりはましだが)ネットにかかわっているわりに、得た物がない、ということは少なくないものである。

書籍の場合は、手元に置いておくものは大体「興味のある対象」であることが多いし、もしそうではないものがあっても、表紙や目次を見れば瞬時に分かって峻別できる。
ひとえに゛「目次の検索性」が優れているからに他ならない。

書籍や刊行物に比べ、ウェブの情報はまだ「分類状態」がバラバラなのである。
「情報には個別にインデックスが付いている」というのが今のウェブであるが、Googleならずとも、情報の「カテゴリー検索」がもっと発達しなければ、ウェブが書籍を超える、というのは難しいと思った。
逆にいまバラバラに存在するウェブの情報を何らかの「中間的なインデックス」を付与することで「情報編纂」ができれば、現在のような単なる検索エンジンではなく、「知的分類ファインダー」のようなものも実現可能ではないだろうか。
ぜひそうした技術の進化を期待したいと思う。