藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

平凡の心。

学生時代の単純な学力であれ、
運動能力であれ、
基礎研究のような分野であれ、
製品の設計や、工業デザインであれ、
経営者としての(様々な指標でスコアされる)成績であれ、

競争優位、という考え方ばかりを先行させてはさもしいが、確かに競争は「研鑽」というメリットをもたらす。
どうしてもそれがないと「ユルむ」からである。
(これが達人になると、あえて他人さまと競争しなくとも「自分の刃を研ぐ」ことが可能になるのだ)

自分も、いつもどこかでそんな「当たり前の競争の中」にいたし、今もそこにいる。
過去、どの時点のことを思い出しても、いわゆる「突出した能力」というのは実感したことがない、ということに気づく。
しかも世界レベルのランキングなどには参加すらしたことがないから、国内でのことである。
その分野で上位から見て5%いや10%以内に入ったことなどない。
学力にせよ、
スポーツにせよ、
音楽にせよ、
ビジネスにせよ。

つまり平凡の部類なのだ。
エリートは上位5%、などとよくいわれるが、おそらくそうした突出した能力があると「その才能」をひたすら伸ばすことに注力して、さらに尖らせていくことは非常にユニークで強力な特徴になるだろう。
そうした各分野のエリートはいいとして。

多くの九割方の人々は、とりたてて特徴は見えず、まあ「多少の偏りがある程度」なのである。
まず「そんなもの」という感覚を持ちたい。
それで自分にできることを、改めて考える。

一瞬の派手なトピックや妄想は、楽しいけれど続かない。

そんな自分の感覚を養っておきたいものである。

案外自分にはそんな部分が見えず、肝心な時に判断を誤ったりするものだ。
自分を常に客観していることは、どうしてなかなか大変なことなのである。
幾つになっても。