糸井さんのブログより。
阿川さんの聞く力を読んだあとよりも得心。
なにかを、どうにかしたいと強く思っている人は、
ほんとうに真剣にものを考えます。
いつも、東北の仲間たちと話をしていると、
たがいが、たがいの考えや思いを、
吸いこむように聞いているのがよくわかります。
いつも、この人たちの口から発せられることばに、
根っこが生えているのも感じますが、
とにかく耳が大きいんだよなぁと感心してます。
耳が大きい。
人には耳が二つに口一つ。
この意味を考えなさい、と昔お寺で聞いたけれど、そういうことなのだ。
耳からだけでなく、目玉からも、よく聴いている。
よく感じながら聞いて、考えながら憶えていく。
そういうことが、みごとにできていると思うのです。
そして、やわらかいんですよねぇ。
それは、おそらく、じぶんの「いまの考え」を、
いつでも変えてもいいという覚悟があるのでしょう。
いちばんいいことを得るためには、
じぶんの「いまの考え」にこだわっていてはだめだ。
その潔さが、やわらかさなんだと思えます。
耳からも聞く。
目玉からも(視覚からも)聞く。
そして「考えながら憶えていく」
その根底には「今の自分に拘泥しない潔さ」だという。
そして結論へ。
「うまく伝えること」が大事だとか言われるいまの時代、
どんどん伝えるための口ばかりが鍛えられていきます。
それは、きっとちがうんですよね。
ほんとうに鍛えられるべきは、聞く力のほうなんです。
伝える力のプレゼンテーションスキル全盛の今の時代に、本当に必要なものは何だろうか、という根底について考えさせられる一文である。
こうした「心の核心」を毎日綴れるようになるのは、やはり思考を深める力が強くないと難しいのだろう、とつくづく思う。
・『うまけりゃうれるべ市』の動画中継のあと、
気仙沼から来てくれた和枝さん、紀子さん、
陸前高田から来てくれた河野さんと、
しばらく雑談をしていました。
なにかを、どうにかしたいと強く思っている人は、
ほんとうに真剣にものを考えます。
いつも、東北の仲間たちと話をしていると、
たがいが、たがいの考えや思いを、
吸いこむように聞いているのがよくわかります。
いつも、この人たちの口から発せられることばに、
根っこが生えているのも感じますが、
とにかく耳が大きいんだよなぁと感心してます。耳からだけでなく、目玉からも、よく聴いている。
よく感じながら聞いて、考えながら憶えていく。
そういうことが、みごとにできていると思うのです。
そして、やわらかいんですよねぇ。
それは、おそらく、じぶんの「いまの考え」を、
いつでも変えてもいいという覚悟があるのでしょう。
いちばんいいことを得るためには、
じぶんの「いまの考え」にこだわっていてはだめだ。
その潔さが、やわらかさなんだと思えます。
そういえば、『うまけりゃうれるべ市』の
はじまる前の時間にミーティングをしていた
「ミグノンの友森さん」といても、
おなじようなことを感じていました。
真剣に考えるというのは、よく聞くことだ。
友森さんの場合なんかだと、
どうぶつたちの「ことばにならないことば」まで、
ずっと聞きまくってるとも言えそうです。
さて、はたして、ぼくを含めた「ほぼ日」のみんなが、
耳から、目玉から、全身から、
よく聞いているだろうかと、あらためて思います。
「うまく伝えること」が大事だとか言われるいまの時代、
どんどん伝えるための口ばかりが鍛えられていきます。
それは、きっとちがうんですよね。
ほんとうに鍛えられるべきは、聞く力のほうなんです。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そういえば、「聞く耳持たない」と言われる人もいるよね。