藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

リベラルアーツ再考。

日経、池上さんの講義録の続きから。
大学ではパンキョーなどと呼ばれ、あまり下積み的で人気がない。
一般教養と言われるだけあって、すぐに実生活で活用できるようなものでもない。

「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」
これは慶応義塾の塾長だった小泉信三さんの言葉です。

いきなり、哲学的。
つまり「本当に必要なことは、学ぶのにも時間がかかる」という何か物理学的に当然の熱力学のような理屈が浮かんでくる。
与えたエネルギー以上のものは普通は帰ってこない。
(核融合は、まだ人類が苦しみながら使っている未知の科学であると思う。)

改めてそんなことを言われてみると、今の社会は「すぐ出来て役に立つこと」というもっとも軽薄な基準が重要だという風潮が強い。
「時間をかけて温めて」というような話は、検討する側も手間を取られるし、白黒もすぐにははっきりせず管理する手間もかかるので、無意識に自分たちはそういうものを"敬遠する体質"になってしまっていると思う。

けれど優先すべきは「急がないけれども重要なこと」なのである。
「急ぐこと」をすべてに優先して物事を決めているから、なんだか世の中じゅうが「即物一色」になってしまった。
それを嘆くベテランの声も多く聞くが、その理由はこういうことだったのだ。

今の時代の「日常の日々」を生き抜くには、周囲の情報の収集も大事だし、ビジネスのトレンドにも気を配っていなければならない。
けれど「そうじゃないもの」を何か自分なりに見つけておくことは、日々の日常に押し流されないためにも、また自分自身の定点的な縁(よすが)とするためにも重要なことだと思う。
お稽古ごとでも、研究テーマでも、深まってゆく趣味でもいい。
「いつもそこにある変わらぬ環境」に我が身を置くようなセッティングを意識して作ってはどうだろうか。

大学で学ぶ教養とは
2014/6/16 3:30
日本経済新聞 電子版

日本経済新聞に連載中の福地茂雄さんの「私の履歴書」6回目(6月6日付)に、次のような記述があります。長崎大学の学生だった頃についての回想の部分です。

「近年は大学で一般教養を教えることが少ない。ここで学ぶ心理学や論理学、社会思想史に代表されるリベラルアーツはすぐには役に立たない。ただ人生にじわりと効いてくると思う」

ああ、福地さんも、同じように考えていらっしゃるのだなあと感じ入ったものでした。

■教養教育の再評価広がる
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」
これは慶応義塾の塾長だった小泉信三さんの言葉です。逆に言えば、すぐには役に立たないけれど、まるで漢方薬のように、じわじわと効いてくるものもあります。それが教養というものなのでしょう。

そんな「すぐには役に立たない」リベラルアーツの教育を担当してほしいと依頼され、東京工業大学で教え始めて3年目を迎えました。「すぐには役に立たない」だけでなく、ずっと役に立たないことを教えているのではないかとの忸怩(じくじ)たる思いを持ちながら、学生諸君に向き合っています。

東工大リベラルアーツセンターは様々なイベントや人材の交流を通じて、学生たちが教養を身に付けるための取り組みを増やしている(13年5月に開いた芸術の専門家と対話するシンポジウム)
東工大リベラルアーツセンターは様々なイベントや人材の交流を通じて、学生たちが教養を身に付けるための取り組みを増やしている(13年5月に開いた芸術の専門家と対話するシンポジウム)

最近の大学教育は、即戦力の人材を送り出すことを重視し、専門教育偏重に陥っていたのではないか。この反省から、教養教育の再評価が始まりました。

私が所属する東工大リベラルアーツセンターは、まさにそのために設立されました。

また、京都工芸繊維、京都府立、京都府立医科の3大学は、国立や公立の枠を超え、この4月から共同で教養教育を始めました。

3大学は、それぞれ規模が小さく、提供できる科目に限りがあるため、互いに科目を提供し、学生の選択の幅を広げました。従来も、単位互換によって他大学の科目を履修することは、全国各地の大学が取り組んでいますが、3大学は共同の教育施設を建て、そこで一緒に学べるようにしたのです。

その目的は、「文系、理工系、医学系の専門分野や将来の志望の異なる三大学の学生が授業で混在し、多様な視点や価値観を交流して、一緒に学ぶ学修空間を創り出すこと」(京都三大学教養教育研究・推進機構のウェブサイトより)。

教養教育の大切さを強調する大学が増えているのです。

■多様な知識、ビジネスで威力
このところ書店の店頭で目立つのは「教養」を冠した題名の書物の多いことです。『文芸春秋』7月号も「いま日本人に必要な『教養』とは何か」という特集を組んでいます。まさに「教養ブーム」です。

この中でフランス文学者の鹿島茂さんは、大学で教養を学ぶとは、方法論を身につけることだと説いています。ヤマト運輸小倉昌男さんが吉野家の牛丼をヒントに個人宅配を考えついたという例を引き、「他分野のやり方を応用することで画期的なイノベーションが生まれることがある。教養とは多分野の方法論を学ぶことなんですね」と語っています。

多様な知識や方法論を学生時代に習得する。そういう教養があるからこそ、ビジネスで威力を発揮できる。これぞ教養の効用なのです。

と書いていて、ふと気づきました。私は「教養は役に立つ」と強調してばかりではないかと。実に教養のないことです。

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい教養講座」「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。長野県出身。63歳。
いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい教養講座」「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。長野県出身。63歳。