藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

腕よりも素材よりも。

オフィスの近くに、自らは調理設備を保有せずにデリバリーだけを行い、フードの15%を手間賃として受け取る、というビジネスモデルの業者がある。
食事を作るのは、いわゆる一流店ばかり。
食べ物の種類は和食は寿司や蕎麦に天ぷら、焼き肉、中華、イタリアン、洋食、高級カレーにハンバーガーなど何でもある。
そりゃそうだ。
彼たちは運ぶだけだから。

作るお店の側からみても、一見合理的である。
リアル店舗は人の許容範囲に限りがあるから、どうしても「ピークとそれ以外」ができてくるけれど、サイバーから注文を取って、誰かがデリバリーしてくれれば厨房の生産能力だけで、お店の広さの制約から解放されてキャパシティが相当広がるように思える。
そしてお店よろしく、忙しい時には「一時間待って下さい」というような調節も効く。

なるほどなぁ、と思ってここ一年ほどあらゆるメニューを試してみた。
が。
が。
致命的なことに気がついた。
さて何でしょう。








味が落ちるのである。
デリバリーの間に。
自分も知っていた名だたる洋食や中華の名店の料理であることは間違いない。
けれど、厨房から一分ほどで供される食事と、恐らく15分程度で提供されるものがこれほど味覚に差を出すとは改めて驚いた。
まあ、あまり美味しくないのである。
料理とは、味覚とはこれほど温度に左右されるものだというのは、目からウロコの再発見だった。

と、言うような話を行きつけの焼鳥屋の主人にしていたら。
「当ったり前ですよ!ウチでは"一秒"でも早くお客さんにもてなしますから」と即答される。
「もし15分経ったら?ウチなら厨房の裏で店のモノに食べさせますよ。こんなに風味が落ちるんだって、ね。」
さらに
「だからお客さんの食べるペースに合わせて、焼き上げるタイミングを変えないと一人前とはいえません。間が空きすぎてもダメだしね。」
とのこと。
一流の調理人は、配ぜんの流儀も共通しているものなのであった。
見くびってはいけないいけない。