藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

スキルって何だろう。

ある晩、板場で敏捷に働く料理人を眺めていてふと尋ねた。
私「和食で一人前になるにはどのくらいかかります?」
板「一通りできるまでで二十年。まぁ和食に限りませんがね」
即答。

それはともかく。
アバドマゼールも今年なくなり、唯一の帝王と言われるムーティの記事。

「イタリアの歌劇場はどこも財政難にあえいでいる。大事なことは、そんな時でも、すべてにおいて最善を尽くす意志を持ち続けること。われわれは世界に向けて、イタリア・オペラの手本を示さなくてはいけない」

さらに。
絶滅危惧種とまで。

この自負と責任感は、あくなき向上心と厳格な規律に支えられている。それを他人にも求める。「何度も振ってきた作品でも、新しい演出で臨む際はリハーサルに1か月を充てる」。多くの人がかかわるオペラは、リハーサルがすべて。その原則を決して曲げない。

共演者は大変だ。超大物でも容赦しない。「テノールプラシド・ドミンゴと『オテロ』をやった時は、2人だけで25日間練習した」。この徹底ぶりは、現代では絶滅危惧種の生物並みに貴重だ。その原動力は、作品と作曲家に対する崇拝にも近い感情にある。

料理にせよ音楽にせよ、武道にせよ、技量の高い人ほどに基礎に忠実である。
つまり才能のある人ほど稽古を怠らず専念するから、どんどん上達する。
あまりぱっとしない人ほど真面目に下稽古をしないから、あまり上達もしない。という当たり前の法則がここにも成立していた。

つまり「出来が良くない」のは大体が本人のせいであって、才能のせいではないのだろう。
それにしても、そうした「道」に入って二十年。
その分野のプロならそれを二回か三回繰り返していく。
人生で何度もチャレンジできるテーマではないだけに、追求していく魅力もあるのに違いない。
そんなテーマを探さないのはせっかく人に生まれて勿体ないことだと思う。
特に若者はまだ間に合うのだから。

「帝王」謙虚な奉仕者…指揮者リッカルド・ムーティ

カラヤン亡き後、クラシック界で「帝王」と呼ばれている音楽家はただ一人、イタリアの指揮者、リッカルド・ムーティだけだ。
常に畏怖と尊敬のまなざしを浴び、もうすぐ73歳になる。多くを手中に収めた巨匠は、これから何をめざすのか。

伝統あるローマ歌劇場を率いて来日公演中の5月下旬、取材に応じたムーティは上機嫌だった。「いいニュースが入ってきた。われわれの歌劇場に新たに助成金が下りるんだ!」。名称も「首都」の称号を贈られ、「首都ローマ歌劇場」になるという。同歌劇場の終身名誉指揮者に任じられている身にとって、ありあまる光栄だ。

「イタリアの歌劇場はどこも財政難にあえいでいる。大事なことは、そんな時でも、すべてにおいて最善を尽くす意志を持ち続けること。われわれは世界に向けて、イタリア・オペラの手本を示さなくてはいけない」

この自負と責任感は、あくなき向上心と厳格な規律に支えられている。それを他人にも求める。「何度も振ってきた作品でも、新しい演出で臨む際はリハーサルに1か月を充てる」。多くの人がかかわるオペラは、リハーサルがすべて。その原則を決して曲げない。

共演者は大変だ。超大物でも容赦しない。「テノールプラシド・ドミンゴと『オテロ』をやった時は、2人だけで25日間練習した」。この徹底ぶりは、現代では絶滅危惧種の生物並みに貴重だ。その原動力は、作品と作曲家に対する崇拝にも近い感情にある。

「外面的な効果を狙って、歌手たちが音楽を勝手に改編・削除する悪習が今までまかり通ってきた。私の最大の使命は、作品を本来の姿で上演し続けることだ」

来日公演のベルディ「シモン・ボッカネグラ」は、今までほとんど取り上げてこなかった。「長年、音楽的に納得できなかったが、最近、ようやく解決案を見つけた」。生気みなぎる充実した演奏だった。とはいえ、自信満々からはほど遠い。「もし、作曲者に聴いてもらえたとしても、感想は聞きたくない。『これは私の作品ではない』と言われたら、死にたくなるから」

音楽界に君臨する帝王は、芸術への謙虚な奉仕者でもある。いや、作品にとことん謙虚だからこそ、演奏では不遜なまでの徹底ぶりを実践できるのだろう。この「帝王」学を継ぐ次代の指揮者はいるだろうか。

Riccardo Muti 1941年、イタリア・ナポリ生まれ。67年、グィード・カンテッリ国際指揮者コンクールで優勝。米フィラデルフィア管、ミラノ・スカラ座、米シカゴ響などの音楽監督を歴任。著書「リッカルド・ムーティ、イタリアの心 ヴェルディを語る」(音楽之友社)が5月に刊行された。
(文・松本良一 写真・小林武仁)