藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

何でも楽しく

自分も長らく営業の端くれにいるけれど、ついつい「そういうこと」を忘れてしまうな、と思った記事。

確かに最近の若い人は営業を敬遠する人が多いように感じる。

とはいっても自分たちが就職するときに「自分は営業希望」という人も少なかったか。
要は「食わず嫌い」でいたのだろう。

営業が実は中身の「濃い薄い」も「楽か苦か」とか「儲かるかじり貧か」などとも"自分次第でしかない"ということがよく分かる。
成功者の話は「こういう心構えがあるのだ」というような観点で聞くと得るところが多い、ということにも気付かされた。
成功談は「いいなー、こんなにうまくいって」とただ羨ましがったり、「よくまぁこんなに続いたもんだ」というように「へぇー」と思って聞いていると何の足しにもならないけれど、ヒーローの「心の構え」を意識して想像するようにしてみるととても良い。

伝説はただ作られたものではなく、ある日突然ヒーローが降臨するわけでもない。
という当たり前の事実も忘れないようにしなければ。

伝説の営業マンから就活生へ 誰でもトップ営業になれる
沢木恒則 JASEAN代表取締役会長2014/3/29 7:00日本経済新聞 電子版
 就活戦線は4月から大企業の面接が本格化し、熱を帯びてくる。ところが、最近は「営業は無理です」「人を支える仕事をしたい」などと営業職を敬遠する就活生が多いのが採用担当者の悩みという。「営業ほど面白い仕事はない。誰でもトップ営業マンになれる」−−。電機、生保の営業で抜群の実績をあげ「カリスマ営業マン」と呼ばれた人物が、就活生に営業という仕事の魅力と神髄を説く。


 沢木恒則(さわき・つねのり) 1957年富山県生まれ。80年東京エレクトロンにエンジニアとして入社するが、2年後に営業に異動。その年以降、6年間トップ営業を続ける。88年プルデンシャル生命保険へ転職。月12〜15件の契約を続けそこでもトップ営業に。その後、アジア各国での生保ビジネスを手がけ、アジアでの人脈を築く。13年に日本の中小企業のアジア進出を支援する「JASEAN」を設立し、代表取締役会長に就任。

 「モノ・サービスの中で最も売るのが難しい」といわれる生命保険のトップ営業マンとして知られる沢木恒則さんは大学卒業後の1980年に東京エレクトロンに入社。そこで検査機器販売のトップ営業となり、88年にはプルデンシャル生命保険に転職。そこでも保険業界で「前例がない」といわれるほど抜群の営業成績を上げ続けた。大学で物理学を学んだ沢木さんはもともとエンジニア。営業職とは程遠い場所にいたが、ある出来事をきっかけに営業の世界に足を踏み入れた。


■エンジニアから営業マンへ

 「エンジニアとして一生懸命仕事をしていたつもりでしたが、目立てず、人事考課でもあまり高い評価ではありませんでした。深夜まで残業をしていたある日のこと。同僚が社内を歩く人をまるでスターを見るような目で見つめていたのです。聞けばその人はトップ営業マンで、30歳を待たず係長に出世した若手のホープでした。私より3、4歳しか変わらないのに出世して、ここまで注目を浴びるのかと驚きました。かっこよかったですね」

 「自分が営業職に向いているのかどうかはわかりませんでしたが、注目される存在になりたいという思いは日に日に強くなり、会社に営業職への配置転換を訴えました。入社間もないエンジニアがいきなり営業に行きたいなどと言って、会社は驚いたでしょうね。前例がありませんから。でも、根負けしたのか2年後には営業への異動を認めてくれました」


 しかし、いきなり壁にぶつかる。販売するのは電子部品を基板に集約したサーキットボードの検査機器。1台5000万〜2億円もする高額製品だ。主要顧客は先輩社員やライバル社が押さえている。上司は冷たく「自分で販路を開拓しろ」。当然、営業初心者が売れるはずもない。沢木さんのとった行動とは……。


■ライバル社の顧客に照準

 「まずサーキットボードを作っている中小企業をあたってみたのですが、高額過ぎて買ってくれません。じゃあどこが買ってくれるのか。ライバル社の売り先なら、確実に検査機器に興味があるし、買う力もあるわけです。当時の競合メーカーは米ヒューレット・パッカード(HP)。売り先は大手電話会社に納める電話機などを生産している会社。ここに狙いを定めました。しかし、当時の上司には『交通費の無駄。1000%売れないから』と嫌みをいわれました」

 「やはりというか、ほとんど門前払いでした。納入先である電話会社の意向が働いていたのかもしれません。全国を歩き回っていると、ようやく栃木県に工場を抱えるメーカーの担当者と話ができるようになりました。心がけていたのは約束を絶対に守ること。面会の約束をしていたある日、腰まで積もる大雪が降りましたが、旅館から工場までの道のりを雪の中を1時間かけて歩きました。クルマならたった5分の距離でしたが」


 商談にはなかなか結び付かなかったが、担当者は徐々に胸襟を開き「実は歩留まりがあがらない」など悩みを打ち明けるようになった。


 「歩留まりの問題を聞いてから、『東京エレクトロンの検査機器ならライバル社に比べて検査精度が高いので、これぐらい改善できるのではないか』などデータを示して、どのように問題解決につながるかをわかってもらうように心掛けました」

 「繰り返し言ったのは『必要のないものを売ろうと思ってはいない。役に立てるものしか売りません』。これはきれいごとではなく本心です。何度も通って生産上の悩みまで打ち明けてもらえるぐらいの関係になると、なんとかその会社のため、担当者のために役に立ちたいと心底から思うようになったからです」


 努力は実を結び、競合製品からの置き換えに成功した。難攻不落といわれた大手電話会社系列の協力会社を口説き落としたのだから、ネアカな天性の営業マンのように思えるが、沢木さんは「自分は口下手で明るくない」という。


 「私は口もうまくないし性格も明るいほうではありません。『ひたすら顧客を知り、顧客のためを考える』という私なりの営業が通用することは顧客に教えてもらいました。ライバル社から東京エレクトロンに乗り換えることを決めてくれた担当者の結婚式に招待された時のことです。『ライバルから乗り換えるのは大変なのになぜ買ってくれたんですか』と質問すると担当者はこう話してくれました。『沢木さんの熱意は伝わってきたし、歩留まりも改善するだろうとわかっていたが、系列の問題もあって乗り換えは無理だと思っていた。しかし、大雪の日、まさか今日は来ないだろうと思っていたら雪にまみれて訪ねてきたでしょう。これだけうちの会社のことを真剣に考えてくれる人なら信用できる。この人のためにも買おうと思ったんですよ』」

 「この話を結婚式で聞いたとき、自分のやり方が間違っていないことがわかりました。『顧客の話に耳を傾けて、顕在化しているまたは潜在的な課題を理解して、相手に認識させてあげること。そして使命感を持ってその課題を解決する方法を考え抜いて提案すること』。解決型営業のポイントですね。課題が顕在化すれば、人間には解決したいという欲求が生まれる。そこに応えられるようにするということです」

■大事な「質問力」


顧客の課題を解決するスタイルの営業は「誰でも学べて、天性の才能は関係ない」と沢木氏は主張する
 「顧客の課題を把握して解決できたとき、これほどの満足感はありません。営業ほどすばらしい仕事はないと感じる瞬間です。顧客側がお金払うのですから普通はこちらが頭を下げますが、解決型営業は逆に感謝されるぐらいです。さらに満足してくださった顧客が知り合いをどんどん紹介してくれるようになります。この解決型営業は天性の才能に関係ない。サイエンスでもあり心理学でもあり、誰でも学べる。きちんと学べば、誰でも数字をあげられるものです」


 問題解決型の営業マンになるためには、(1)人間関係づくり(2)質問力(3)話を聞く力――。この3点を押さえればいいという。


 「人間関係を作るためには足しげく通う、連絡をまめにするといったことを面倒くさがらずにやらないといけません。これはどの仕事でも必要なことだと思います。提案型営業マンに欠かせないのが質問力です。例えば普通の花屋さんはお客さんに『どんな花をお探しですか』と尋ねますが、繁盛している花屋さんは『どうされましたか』と質問します。お祝いごとなのか、自分の部屋を明るくしたいのかなどのニーズを聞き取るためです」

 「人間関係ができて、いい質問ができれば顧客は悩みや課題を話してくれるようになります。ここで徹底的にじっくり話を聞くことが大事です。課題のすべてをくみとるためです。課題がわかったからといって、性急にモノを売ろうとしてはダメです」


 この出来事をきっかけにして沢木さんはスーパー営業マンとしての道を猛進する。ライバル社製検査機器をどんどん東京エレ製に置き換え、その年の売り上げはこれまでのスター営業マンのおよそ10倍。顧客からの紹介やリピート購入が続き、トップ営業マンの地位を守り続けたが、異業種の生命保険業界に飛び込んだ。

■紹介が紹介を呼ぶ

 「未体験の生命保険(生保)業界でしたが、検査機器の販売で得た成功法則は変わりませんでした。例えば働く父親が愛する奥さんや子どもを守りたい、そのためには自分に何かあったときも考える必要がある。そうした課題に気付いてもらい、その課題に応える最良のプランを提示するのです」

 「営業ではXYZ理論というものを意識していました。最初は自分の親戚や友人に営業し、契約してもらう。これをXマーケットとします。その次に契約してもらった人の親戚などを紹介してもらう。これがYマーケット。最後がこのYマーケットでの契約者に紹介してもらう顧客をZマーケットと呼んでいます」

 「Xは親戚や友人、Yはその身内からの紹介ですからうまくいくこともあります。ただつながりが薄いZマーケットの人にまで顧客なってもらうには、『沢木さんのおかげで助かった』と感謝されるほど、価値のある情報やプランを提示する必要があります。ハードルは高いですが、Zマーケットまで開拓できるようになるとトップ営業マンになれます。紹介が紹介を呼ぶ循環ができあがり、向こうから顧客が飛び込んでくるからです。実際私も紹介を重ね、契約は1カ月で12〜15件ぐらいをずっと続けていました。平均的な営業マンだと1カ月1件でいいほう。生保業界全体でもトップの成績を続けることができました」


 生保業界でも営業の実力を発揮した沢木さんは管理職となり、人材育成にも携わるようになる。フィリピンやブラジル、イタリア、台湾などで延べ数百人の部下を育てた。ここでもやはり解決型営業を部下に徹底させ、トップ営業集団を作り上げて行った。


■営業トップ集団をつくるには…

 「営業とはサイエンスであり心理学。とにかくこれを社員には徹底しました。営業は天性の才能がある人しか成功できないと思っている就活生が多いかもしれません。それは違います。これは日本でも世界でも共通です。フィリピンで生保の現地法人の社長になったときも同じでした。ここでは普通の生保が2カ月に1件契約が取れれば大成功という世界で、1週間に5件販売する組織になりました」

 「もう一つ部下に徹底させたのは数字に対するこだわりです。会社の理念と同じで営業もビジョンを持たないとダメです。使命感とも言えますね。生保の営業として何人の家族を幸せにしたいのか、明快な目標がないなら辞めた方がいいと部下には言いました。解決型営業の使命感からくる目標意識です。ここは厳しくコミットさせました」

 「文系も理系も、男性だろうが女性だろうが、あまり女性にもてないとかと、営業でうまくいくかは全然関係ありません。誰でも営業で成功できる可能性があるし、これほど満足感のある仕事はほかにはあまりないと思います。そして自分も出世できる。歩合制ならおカネも相当稼げます。就活生の皆さんは『営業はペコペコしてつらそう』『知らない人にモノを売るなんてできない』などと思っていませんか。営業とは『人のために役立ち感謝される仕事』です。そしてやり方を間違わなければ誰でもそんなトップ営業マンになれるのです」
(聞き手 松浦龍夫)