藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

その道のこと

知人宅でお茶をよばれる。
日本茶かコーヒーを、と聞かれて(コーヒーって色々と好みがあるので)お茶を、ということで「しばらくお待ちください。」

しばらくして出てきた茶卓の上に小ぶりの茶碗。
山吹色のお茶。
何か厳かな感じがしたので早々にいただく。
程よく苦く、程よく渋い。
けどさらっとしている。
香りもいい。お茶の香り。
温度もぬるすぎず。
ふた口飲んで、またふた口。
100ccあまりのお茶はすぐ飲んでしまった。

お替わりをどうぞ。
ということで程なく二杯目がきた。
今度は少し熱めになっている。
一杯目より少し薄めかな。
その分上品な感じもしてちょっとゆっくり味わう感じになった。
三倍目は濃いめだった。
温度は少し低めか。秀吉の逸話を思い出す。

と話はそこそこにお茶ばかりに関心が行く。
『真富士(まふじ)』という有機栽培のお茶っ葉らしい。
聞くと「水」「茶葉」それぞれに適したその産地とか質とか季節があるそうである。
さらに技術として「茶葉の保管」「(湯の)温度」「抽出方法」「温度」のも掛け合わせが無数にあると。
そして茶器によるとのことで、聞いているとまるでコーヒーのマニアと変わらない。
そうか茶道だ。
こっちの方がずっと古い。
それにしても「渋みが」とか「色がいい」とか「香りが若い」とか「後味が、うま味が」というのはまるでコーヒーとかワインとおなじ要素である。
「多分上等のコーヒーと同じくらいの値段です」という茶葉は茎の粒が揃っていて、まだ色が若々しく、コーヒー豆の選定を見ているようだった。

曰く「思った通りに一度で淹れられることはなかなかありません」とのこと。
お茶(紅茶もそうかな)もコーヒーもワインもこうした"無限の変数"を組み合わせ、その結果を楽しみ追求する大人の趣味なのだとつくづく思った。
それにしてもちょっと凝りだすと「その道」にハマりそうで怖い。
それにてもちゃんとネットで売ってるもんだね。